バケモノの眼

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「おい早くしろよ。中を覗いて確かめるんだ」  急かされてしまい、しぶしぶ蓋に手をかけた。野晒し、雨晒しにされていた蓋はあちこち腐っていて、なんだか手がぬるぬるしてしまう。気持ち悪いし、小さな虫も這っている。本当は触りたくもなかったが、そんなことを言ったら何をされるかわからない。  思ったよりも重かった蓋をどけると、僕は持って来いと命じられた懐中電灯で中を照らした。ちゃぷん、と水が跳ねるような音がする。下の方は真っ暗で、懐中電灯の頼りない灯りは殆ど届かない。ただ、音がすることと、僅かに揺れるものが見えることから、どうやら下の方には水が溜まっているらしかった。  井戸桶のようなものは、見当たらない。それでもまだここには、井戸水のようなものが存在しているということなのだろうか。単に雨水が溜まっただけ、なのかもしれないが。 「あ」  そして。  悪夢は、唐突に。 「悪い、ちょっと滑っちまったあ」  そんな能天気なソータ君の声を――僕は、逆さまになった頭で聞いていた。  背中から思い切り衝撃が来たと思いきや、次の瞬間僕は真っ逆さまになって井戸に落下していたのである。 ――うそだ。  景色が、スローモーションに見えた。逆さまになって、遠ざかる光が見える。何故だか恐ろしいまでにはっきりと、こちらに指をさしてゲラゲラ笑っているソータ君の顔が見えた。  突き落とされた。それを理解したのは――頭からぼちゃん!と得体の知れない水に落下してからのことだった。 ――うそだ、こんなのうそだ、いくらなんでも、そんな。  泥にまみれ、濁り、腐った水が鼻から口から侵入した。懐中電灯は一緒に落としてしまい、水没してあっという間にその光を点滅させ消してしまう。井戸のサイズはそこそこ大きく、水も深かったので大した怪我をすることはなかった。それでも、どうにか再び浮き上がって頭を出せたその時には、頭から足先までずぶ塗れで汚い水に塗れた状態である。うぞうぞと、虫のようなものが這う感覚もある。  突き落とされた。いくらソータ君でも、そこまでするはずがない。そこまでして平気なわけがない。きっと本当に滑ってしまっただけなんだ。――そう信じたい気持ちは、ごごご、という重い音で打ち砕かれた。 「悪い悪い。うっかりぶつかっちまってさあ。自力で這い上がれないだろ、深そうだしー?大人の人呼んできてあげるからさあ、お前はそこでバケモノ探しでもしてろよ」  笑いながらソータは――蓋をゆっくりと、戻そうとしていたのである。  空から降り注ぐ僅かな光が、少しずつ小さくなっていく。 「や、やめて!お願い、蓋閉めないで!助けて、暗いのやだ、怖い、怖いよ!!」  僕は必死で足をバタつかせ、水に沈まないように苦心しながら悲鳴を上げた。こんな汚い水につかった状態で、しかも真っ暗な闇の中に閉じ込められるなんて冗談じゃない。夢なら醒めて欲しかった。ただ井戸を覗けと命じられるだけだなんて甘すぎたのだ。  彼はきっと、大人を呼びになど行かない。このまま自分を置き去りにするか、呼んだところで数日後になるに決まっている。 ――何で?どうして?僕そこまでのことした?僕、そんなに酷いことした?ねえなんで?  どうして自分は、ここまでの思いをしなければいけないのだろう。そこまで彼は、自分のことを恨んででもいたというのか――否。 「じゃあな。しっかり蓋閉めて、雨が入ってきたりしないようにしてやるから!ありがたく思えよー!」  光が閉ざされる刹那。最後に見たソータの顔は――笑っていた。楽しそうに、罪悪感の欠片もない顔で。  絶望の闇の中、恐怖に狂うほど絶叫しながら僕は知る。  本当のバケモノは最初から、暗闇の中ではなく――僕のすぐ隣に存在していたのだ、と。
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