セピア

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週末、カメラの手入れをする。写真を撮る、まではいかないが……カメラに触れていたかった。 バイトで初めて買ったカメラ。一眼レフカメラの中で、扱い易い大きさと重さを選んで買った。 カメラの手入れだけは、欠かさなかった。写真家の道を諦めても……。 無心にカメラの手入れをする。 「……ふぅ……」 大事にカメラバッグに、仕舞う。 湿気を吸わないように、風通しが良い場所に置く。自分の目には、入りにくい場所に……。 翠は、母、香の遺影を見ていた。 短大の卒業式に撮った写真が、遺影になるとは考えていなかった。 「……お母さん……寂しくない……よ」 小さな雫が、零れた。 2人で生活していた平屋は、広く感じた。 庭に目をやると、雲がゆっくり流ている。 小さな鞄の中に、財布やスマホ、手帳を入れた。 戸締まりをして、家を出た。 ー寂しくないー 必死に言い聞かせる。 近くの公園を通り抜け、歩き続けていく。 『写真家』 『似ていたから』 会社で、沢野が言った言葉がよみがえる。 彼は何か知っていそうだった。同時に、何か言いにくそうに、懐かしそうな眼差しで、写真の事を話していた。 気が付いたら、かなり歩いていたのか脚の疲れが急に感じられた。 小さな喫茶店が目に入り、休もうとドアの手すりに手を伸ばす。 「っあ……すいません……伊田くん?」 声の方に顔を向けると、沢野がいた。 「こんにちは」 「……あぁ……どうぞ」 促され店に入ると、壁にたくさんの写真やポスターが飾られていた。 「マスター。いつもの……君は?」 「えっ?」 「何、飲む?」 「アイスコーヒーで、お願いします」 マスターと呼ばれた男性は、奥のテーブル席を指差した。 どうやら沢野の指定席のようだ。 席について気づいた。常連客が主の店で、決まった席があること。自分の好きな写真やポスターの近くに。 「いつもの、と、アイスコーヒー」 「ありがとうございます」 「ごゆっくり」 マスターは、コーヒーを置いて軽く挨拶しカウンターへと戻る。 思い思いに過ごす人々。煙草を吸う人もいる。静かに音楽が流れている。 「煙、大丈夫?」 「はい」 少し、言いにくそうな表情。 「沢野さん……吸って大丈夫ですよ」 「……ありがとう……」 シガレットケースから一本取り出し、ジッポで火を付けた。 こちらに直接、煙を向けないよう吸い始めた。 ー会社では、たまに吸っていたのかな?ー 「ん、あぁ……会社では滅多に吸わないからな」 翠の聞きたいことを、すんなり答えてくれた。 ゆっくり息を吐き出すように、煙を吐く。何かを吐き出したいために、吸っているように……。 灰皿に煙草の火を消しながら擦ると、小さな煙が一本。だんだんと消えていく。 ジッ……。 小さく消えた音。 アイスコーヒーを飲み終え、喫茶店を出て気付く。 歩いてきたけれど、現在地がわからなかった。 スマホで地図検索し始めた時、「近くまで送る」と沢野が声を掛けてきた。 近くの駅まで、話しをすることなく歩いていた。 居心地の悪さはなかった。 急にグッと引き寄せられた。車がスピード上げて来ていた。 「大丈夫?」 「……」 「伊田くん?」 「いえ、沢野さんに、大丈夫と聞かれるばかりだな……と」 少し耳たぶを赤くし、顔をそらす。 「ありがとうございます」 「……あぁ……」 少し寂しげな瞳だったが、店に入った時より表情は明るかった。 「良かった」 ポツリと呟く。彼女の耳に届かないように……。
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