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「はい?」
男が驚いたように足をとめ、こちらを振り返った。私は手の中の懐中時計をぐっと握り締める。
「あの、これ」
私はそういって、懐中時計を差し出した。何も変えられない懐中時計。
「あれ」
私の声に、男はあわてた様子で内ポケットに手をやった。そして何かに気がついたように、目を大きく見開いた。そして今度は、ほっと、安心したように顔をほころばせた。
「本当だ、ありがとうございます」
男はそういって、私に手を伸ばした。
「とても、大切なものなんです」
私は、男に懐中時計を差し出した。男は笑顔で、その時計を受け取った。
「よかった」
男の懐中時計を見つめている瞳は、とても優しかった。
「曽祖父の形見なんです」
男はそういいながら、懐中時計をそっと撫でた。やっぱり大切にされてきたものだったんだ。
「あ、ごめんなさい」
男はあわてたように顔をあげ、私のほうを向いた。
「すみません、これ、大切なものなんです」
男はそういって、困ったように頭に手をやった。その様子がなんだか面白くて、私は思わず、ふっと笑みをこぼした。
「そうですね、とってもきれいなものだから」
そして男も私につられて笑った。男の笑顔は、子供みたいで、とても素敵だった。
「あの、急いでたのに、大丈夫ですか」
「ああっ」
私の問いかけに、男はまた、あわてたような声を出した。
「あっ、でも、大丈夫です」
そして何かに気がついたようにそう言うと、またにこりと微笑んだ。
「駅ですか?」
「はい」
男の問いかけに私は笑顔を返す。
「もしよかったら、一緒にいきませんか」
「はい」
男はまた子供のような笑顔を見せた。
「ありがとうございます、本当に助かりました」
「そんなことないです」
男と並んで、私は駅への道を歩いていく。
「まさか落とすなんて思わなくて」
「そうですね」
この人は、この時計のことを知っているのだろうか。
「ああ、ぼく、水野大樹っていいます」
男は、水野さんは、そういって私に微笑みかけた。私もそれに微笑み返す。
「私は、」
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