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「あれっ」
気がつくと、私は朝通った公園を走っていた。不意の出来事に、私はあわてて立ち止った。はあはあと呼吸が荒い。
人波が駅に向かって流れていく。いつもと変わらぬ風景。その中に、私はひとり立ち止っていた。
ふと、公園に立つ時計に目をやると、時刻は8時15分。朝と同じ時間。
私はあわてて今度は自分の腕時計を見た。8時15分。朝、家を出て、公園を走っていたときの時間。電車に乗る前の、男が懐中時計を落とす、少し前の時間。電車に乗ったときには、すでに8時30分を過ぎていたし、電車の中でも、会社につく前。そう9時前だったはずなのに。
私はあわてて辺りを見回すが、みな何事もないように、駅に向かって歩みを進めていた。
一体何が起こったの?
私はひとり立ち尽くした。
後から誰かが走ってくる音がする。もしかして。心当たりのある私は、とっさに後ろを振り返った。その瞬間、懐中時計を落としたスーツの男が、私の横をすり抜けて行った。そして何事もないまま、駅に向かって走り去っていった。
彼は、何も落とさなかった。
私は、懐中時計を握り締めたまま、動くことができなかった。時計を落とすはずの男は去っていき、手には懐中時計が残った。
ああ、どうしたらいいんだろう。
男が走り去ってからも、私は、ぼんやりとその場に立ち尽くしていた。懐中時計は変わらずに、かちっかちっと時を刻んでいた。
時間が、戻った。
その考えに私の頭は一瞬、真っ白になった。
時間が戻るなんて、そんなこと。そんなこと、あるわけがない。私はゆっくりと懐中時計を持ち上げる。時間が戻るなんて、そんなこと。
私はゆっくりとねじに手をかけた。心なしか、手が震えているのがわかった。震える手で、それでも、私はゆっくりと針を回した。時間が戻るなんて、そんなこと、あるわけない。時計の針が、ゆっくりと左回りに動いた。
その瞬間、また目の前が真っ白になった。
気がつくと、ベッドの中にいた。自分の部屋のベッドの中。私は飛び起き、あわててあたりを見回した。時計を見る。7時20分。ああ、やっぱり、戻ってる。
「こら、早くおきなさーい」
母親のドア越しに響く。
「うん、わかった」
私はそれに力なく返事をした。
本当に、時間が戻ってる。
手に何かが当たった。金属の冷たいもの。そっと布団をめくると、懐中時計がぽんと、ベッドの上に落ちていた。
私はそれにゆっくりと手を伸ばす。私の体温で、少しだけ温かくなっている時計。それを握り締め、思う。ああ、時間が戻っている。
私は、時計を手に取ると、ねじを回した。昨日まで戻れるように、たくさん、うんとまわした。どうか、あのときに戻れますように。どうか、私の過去が変わりますように。
そして、また目の前が真っ白になった。
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