僕の青

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僕の青

 青色は好き。あの人の色だから。あの人はとても美しく、気高く、それでいて愛らしくて、孤独だ。  あの人は青色を僕の色だと言う。けれど僕にとっては、青色はあの人の色だった。  だから青色が好き。あの人が好き。  僕は幼い頃に人攫いにさらわれた。売られた先は、暗殺者たちの巣窟だった。 「本来なら別の国に売る予定だったんだがな。あそこの国は青が尊ばれるから、おまえもマシな扱いを受けただろうが、俺も稼がなくちゃなんないからな。恨むなよ」  そう、僕を売った商人は言った。当時の僕はその言葉に何の感情も抱かなかった。  興味がないから。今後に期待なんてしてなかったから。  僕は鳥の獣人。獣の姿は青い小鳥だ。だから売られた先で僕が任された仕事は、標的の家に侵入して、情報を盗むこと。  まだマシな仕事だった。僕と同時に売られてきた犬の獣人の少女は、暗殺を任されたのだから。  仕事を始めて数年経った頃、僕にある仕事が任された。それはある侯爵家への侵入。それは普段と変わらない仕事のように思えた。  僕はすぐにその侯爵家へと向かった。そこまでは順調だった。  侯爵邸へ着くと、まずは塀の上から辺りを観察する。入るところを見られるのはできる限り避けたいことだから。  周囲には警備の騎士がちらほらと見える程度で、誰も僕のことを気に留めなかった。  よし、行こう。  そう思って、羽ばたこうとした時だった。突然鋭い痛みが走る。  痛みのした右の翼を見ると、引っ掻き傷が一本あった。そしてその先には目を爛々と輝かせる猫。  僕は無我夢中で塀から飛び立ち、木の枝に移った。傷がズキズキと痛んだが、気にしてられない。  猫は僕が枝に移った後も、じっと僕を狙っていた。じりじりと時間だけが過ぎる。  変化が起こったのは唐突だった。  足音が聞こえたのだ。人の足音。こちらへ向かってくる足音。  猫はすっと目線を背け、塀を飛び降りて去って行った。  ほっとため息をつく。鳥の姿だけど。気持ちだけだ。 「あら、綺麗な青」  声が聞こえた。可愛らしい、少女の声。  そうだった。人が来るって分かってたのに。  僕は少女を見た。青色の瞳に、青……というよりは水色に近い髪。陽光を受けて輝く髪は、とても綺麗だった。  珍しい。というより、初めてこんな髪の人を僕以外に見た。と言っても僕は紺に近い青の髪だから、正確には同じとは言えないけれど。  少女はぽうっと熱に浮かされたように僕を見つめていた。僕も、彼女をじっと見ていた。  そんな、まるで僕らだけが世界から切り取られたような時間は、少女の声によって終わりを告げられた。 「まぁ、大変。怪我してるのね。おいで、手当してあげる」  少女はそう言って笑顔で僕に手を指し伸ばした。多分、手のひらに乗れ、ということ。  ……うん、彼女について行っても特に問題はない。はず。  僕は痛む翼を庇いながら、ちょん、と彼女の手に乗った。 「さぁ、行きましょう」  彼女はそう言って、僕を大事そうに撫でながら、侯爵邸の敷地の隅にある小さな建物へと入った。  彼女は僕を手当してくれた。それほど深くなかったのか、数日すると傷は癒えた。  その頃には、もう、僕は彼女のことが好きになっていた。  彼女から離れたくなくて、でも離れなきゃいけなくて、とりあえず僕は窓を開けっぱなしにしたまま、飼い主のところへ戻ることにした。ちゃんとこの侯爵家のことを調べて。  結論から言えば、僕は今後も彼女の元にいることが許された。どうやらこの侯爵家のことをかなり深く調べたいらしい。彼女のことも。  そのことに違和感を覚えながらも、僕は彼女の側に居られることに喜んだ。  僕はそうっと彼女の部屋へ戻った。彼女は気持ち良さそうにベッドに沈んでいた。  小鳥の姿から人の姿になって、少しだけ開いてた窓を閉める。閉めれたことにホッとした。だってそれは、この場所に、彼女の元に戻って来る事と同じだから。  また小鳥の姿に戻り、彼女の顔の横で丸まった。  朝、もし起きた時に彼女が目覚めてなかったら、顔を叩いて起こすんだ。そうしたら、彼女がその日、初めて見るのは僕になる。  そう思いながら、僕は眠りに落ちた。  その日から、毎日、僕は昼間は彼女と過ごして、夜は飼い主に情報を届けるという生活を送っていた。  少しだけ、罪悪感が湧いた。  ある日、彼女は僕に名前をくれた。シャル。彼女にそう呼ばれる度に、胸が温かくなった。思わず部屋中を飛び回ってしまうくらい。  ふと、思った。彼女の名前は何だろう、と。  彼女はいつも一人ぼっち。メイドたちはいた。ご飯や生活用品は彼女らが運んでくれるけど、話すことはほとんどなかった。  だから名前も呼ぶこともない。  そらはとても寂しいことのように思えた。少し前までは名無しだった僕。ずっとずっと『小鳥』と呼ばれていた僕。シャルという名前をもらって、僕は初めて『僕』になったように感じた。  その晩、僕は彼女の名前を調べた。侯爵家は、彼女を対外的には病弱と言い、閉じ込めていた。その理由はきっと彼女の存在を隠すため。青い髪を隠すため。  何故殺さないのだろう。そちらの方がいいはずなのに。  そんな疑問が思い浮かんだが、とりあえずは彼女の名前だ。調べたらすぐに分かった。リーシャ。リーシャ様。彼女はリーシャ様。  口に出してみる。ぴぃぴぃとしか出ないけど。けれど、何だかとてもホカホカした。  ある日、彼女もといリーシャ様に僕の外出がバレた。帰りに雨が降ってきたのだ。寒くて、思わずリーシャ様にくっついた。  あったかい。  けどその代わりに、リーシャ様の目が覚めることとなった。 「まぁ、大変」  そう言ってリーシャ様は僕の濡れた体をネグリジェで拭こうとした。いけない。リーシャ様が濡れてしまう。そう思ってリーシャ様の手から逃れようとしたけれど、結局強引に拭かれた。 「あら、もしかして外に出てたの?」  リーシャ様が僕に訊いた。僕は反射的に肯定する。 「こんな日に出てしまうのは危ないわ。風邪をひいてしまうかも。あら、鳥って風邪をひくのかしら?」  心配させてしまった。思わず悲しげな声が出てしまう。  リーシャ様はクスクスと笑った。 「もう出てはダメよ」  僕は返事をしなかった。嘘をつくのは嫌い。誠実でありたい。だから否定も肯定もしなかった。  僕の思いを察したのか、リーシャ様は眉を下げた。 「まぁ、私の言う事が聞けないの?」  はい、そうです、と僕は鳴く。リーシャ様はじぃっと無言で僕を見つめた。緊張感を孕んだ沈黙が横たわる。  やがて、リーシャ様が苦笑した。 「……仕方ないわね。ちゃんと戻って来るのよ。絶対よ、絶対。戻って来なかったら、探しに行くんだから」  ぴぃぴぃ。その鳴き声に込められたのは、少しの罪悪感と、それを上回る喜びだった。リーシャ様が許してくれた。それがとても特別なことのように、僕は思えたのだった。  ある夜のこと。僕はいつも通り侯爵邸を離れて、飼い主の元へやって来た。  飼い主は言った。もう侯爵邸には戻らなくて良い、と。  正直、その時のことを僕はあまり覚えていない。ただただ悲しかったことだけを記憶している。  もうリーシャ様と会えない。  その事実に、僕は打ちひしがれていたのだった。 「あんた、やっぱり弱いね」  それから幾日か経った頃、僕と一緒に売られた犬の獣人の少女に、そう言われた。少女は売られた頃とは本当に変わっていた。色々なことに慣れたのだろう、と思われた。 「……いつまでも綺麗なままじゃ、生きていけないよ」  分かってる。とても頼りない声が出た。 「いんや、あんたは分かってないね。生きるのは何もこの界隈で(・・・・・)、じゃない。この世界のどこででも生きるためには、綺麗なままじゃいられないんだよ」  少女はそう言った。僕はイマイチぴんと来てなかった。僕のその様子を悟ったのか、彼女は乱暴に頭を掻いた。 「あー、とにかく、そのまんまじゃ好きな女も守れねぇよってこと。好きなやつを守るためには、変わらなくちゃ。いつまで経っても飼われてるままじゃ、辛いだろうよ」  その言葉に、僕は衝撃を受けた。そうか、僕は変わらなくちゃいけないのか。  「ありがとう」と言うと、彼女は照れながら走り去った。泣きながら、けれどどこか嬉しそうに。  それから僕は準備を始めた。彼女と共に生きるために。  飼い主に事情を話したところ、どうやら察していたらしく、仕事を多くこなす代わりに数年後にここを離れて良いと言われた。そして同時に、リーシャ様を解放する計画を教えてくれた。それは侯爵家を探るよう依頼した者との調整が必要だったが、飼い主が掛け合ってくれた。  そして僕は以後、昼夜問わず王都を飛び回るようになった。たまに辛いと感じたり、もう良いのでは、と思うこともあった。けれどその気持ちも、リーシャ様を遠くから眺めるだけで消えていった。  リーシャ様はすごい。綺麗で、優しくて、お母さんみたい。僕が親元から離されたのは物心つく前だから、きっとお母さんはリーシャ様みたいな人だったんだなぁって思う。  そして、五年の月日が流れた。  あの時から随分と背が伸びた。それでもまだリーシャ様に届かないけれど。  つい先日、侯爵家を調べることを依頼した方が、侯爵家の悪事を公表した。その中に、隣国への密輸がある。密輸の品は表向きには伏せられたが、実際はリーシャ様の髪だった。  隣国は幼い頃、僕をそこへ売ってやりたかった、と人攫いが言った国だった。そこでは青が尊ばれ、青を持つ者もまた尊ばれた。  その国のある貴族に、侯爵家はリーシャ様の髪を売っていたのだ。その貴族はリーシャ様の髪をカツラにし、娘に与え、王族へと輿入れさせた。つまりは、しょうもない貴族の野望のために、リーシャ様の綺麗な髪が使われたのである。  その商売のためだけに、リーシャ様は生かされていた。正直、とても嫌だった。  リーシャ様に関することは伏せられていたものの、侯爵家は他にも様々な悪事を行っていたため没落。リーシャ様は被害者、ということで罪に問われることはなく、十分な用意をされて市井へと下る予定だった。  それら全てが、あの日、五年前に元(・)飼い主が企てた計画であった。  大通りに、一台の馬車が止まった。中からゆっくりと降りてきたのは、青い髪をした少女。リーシャ様だ。  皆がチラチラとリーシャ様を見る。青い髪だから。  それが何となく嫌になって、僕はリーシャ様の元へゆっくりと歩いて行った。  リーシャ様。誰よりも綺麗なリーシャ様。  これからはずっとずっと一緒です。
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