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私の小鳥
青色は好き。私の瞳の色、私の髪の色、昔飼っていた小鳥の色。
昔は嫌いだったけれど、今は大好きな青色。だってあの子の色だから。
あの子を拾ったのは、まだ十二の頃。日課の朝の散歩をしていると、木にとまった青い小鳥を見つけたのだ。
鮮やかな青色で、とても綺麗で、私はしばらく見惚れていた。
だけど小鳥は傷ついていて、それに気づくと、私は慌てて小鳥を抱えて部屋に戻った。比較的綺麗な服を破って、小鳥の傷ついた羽に巻き付ける。
ぴぃぴぃ、と可愛らしく小鳥が鳴いた。まるでお礼をしているかのように。
「早く元気になるのよ」
またぴぃ、と小鳥が鳴いた。私は思わず微笑んだ。
小鳥の傷はあまり深くなかったのか、すぐに良くなった。それでも小鳥は旅立つことなく私の傍にいた。朝はいつも顔をつついて起こしてくれて、一緒に散歩をして、そのあとはずぅっと一緒に部屋にいた。
「そうね、あなたの名前はシャルにしましょう」
名前がないのは不便だからつけると、小鳥──シャルはぴぃ、と鳴いた。気に入ったのか、部屋の中をしばらくの間飛び回っていた。
シャルを籠に入れることはしなかった。だって可哀想だもの。私も閉じ込められてるからそのつらさはよく分かる。そんな思いをシャルにさせたくないと思ったのだ。
そう、私は閉じ込められている。理由は青い髪だから。酷いこと。私だってこんな髪で産まれたくて産まれたわけじゃないのに。青い瞳はよくあるけど、青い髪なんて、世界中探しても多分私だけ。だからみんな気味悪がって、私を閉じ込めた。
悲しかった。辛かった。何度この髪を切ってしまおうと思ったことか。
だけどシャルと出会って、私は一気に髪が好きになった。だってシャルと同じ色だもの。世界中で多分私だけ、シャルと同じ色。
嬉しかった。
「ふふふ、お揃いよ、お揃い。私とあなただけ。二人っきりでお揃いよ」
そう言うと、ぴぃぴぃ、とシャルは鳴いた。私はシャルの顔に頬を寄せた。ちょっとだけシャルが焦ったように鳴く。ぴぃぴぃぴぃ。可愛くて更に強く頬ずりをしたら、シャルは強引に抜け出した。思わず笑ってしまった。
シャルは何故か夜に出かける。それに気づいたのはある雨の日。頬が冷たくて目を覚ますと、びしょ濡れのシャルがいたのだ。
「まぁ、大変」
そう言って私はネグリジェの裾でシャルを拭いてやった。シャルはバタバタと羽を動かして抵抗をしたけれど、私は強引に拭う。
拭き終わって気づいた。外で雨が降っていた。ざあざあと降る雨が、開けっぱなしの窓から部屋に入って来ていた。
「あら、もしかして外に出てたの?」
シャルはぴぃ、と鳴いた。
「こんな日に出ては危ないわ。風邪をひいてしまうかも。あら、鳥って風邪をひくのかしら?」
ぴぃーぅ、とシャルは鳴く。どうやら落ち込んでいるようだった。可愛い。
「もう出てはダメよ」
そう言うと、シャルは返事をしなかった。いつもならぴぃ、と鳴くのに、どうしたのかしら? そう思ってシャルを見つめ続けると、ぷい、とシャルは顔を逸らした。
つまり、それは聞けない、ということだろうか?
「まぁ、私の言う事が聞けないの?」
……ぴぃ。とても寂しそうな声で、シャルは鳴いた。
静寂が降りる。折れたのは私だった。
「……仕方ないわね。ちゃんと戻って来るのよ。絶対よ、絶対。戻って来なかったら、探しに行くんだから」
ぴぃぴぃ、とシャルは嬉しそうに鳴く。私はそっとシャルを撫でた。
そんな幸せな私とシャルの生活は突如終わりを告げた。
ある朝起きると、シャルが消えていた。シャルに起こされない目覚めはとても静かで、寂しかった。
開けっぱなしにされた窓から、夜に旅立ったのだろうと推測できた。
もしかして、夜の散歩の途中で怪我をしたんじゃ……。
そう思うと、居てもたってもいられなくなって私は部屋を飛び出した。
シャル、シャル。呼びながら庭を歩き回った。返事はない。
不安で不安で仕方がなくて、私は門から出ようとした。けど門番に止められる。
「出るな!」
「いや、いや。シャル、シャル!」
抵抗したけれど結局抑え込まれて、私は部屋へと戻された。私が初めて出ようとしたためか、部屋に鍵がつけられた。二度と屋敷から出ないように。
ああ、シャル、シャル。私は部屋から出れなくなった。それはシャルを探しに行けないということ。
戻って来るって約束したのに。探しに行くって言ったのに。
「ごめんなさい、シャル」
探しに行けない代わりに、私はずっとずっと、あなたを待ち続けるわ。
それから五年が経った。私は部屋から一歩も出ることなく、シャルを待ち続けた。ずっとずっと、待ち続けた。
けれどそんな日々も今日で終わりだった。私は少しだけおめかしをする。髪を軽く結って、つい先日買ってもらったばかりの青いワンピースを着た。
シャルの色だ。全身シャルの色で、何だか照れくさくなっちゃう。
「さぁ、行かなくちゃ」
私は部屋の扉を開け、外へと出た。
私は人生で初めて、街の大通りに降り立った。これだけの人が集まってるのを見たのは初めて。
そして、これだけ多くの視線を感じたのも。
今日は初めてづくしの日。うん、ある意味ではいい日かもしれない。
大きく息を吸って、吐いて。さぁ、行こう。
そう思って私は一歩足を踏み出そうとした。
「……すみません」
唐突に後ろから声をかけられた。まだ声変わりをしていない、子供特有の声。振り返ると、少年がいた。
年の頃は十くらいか。とても小柄な少年だった。
そして何よりも特徴的なのは、その髪。私よりも更に深い、青色だった。
──帰って来た。
ふとそう思った。だって、シャルと同じ色だったから。もう五年も前のことだけど、シャルのことは私の記憶の中で色褪せずに残っている。
シャル。そう呼びかけようとして、やめた。だって彼はシャルじゃない。そんなことをしたら失礼だ。
首を横に振ってシャルのことを意識の外に追いやり、私は口を開いた。
「──何でしょう?」
「……少し、こちらに」
そう言って彼は私の手に触れ──ようとしたがすぐに手を引っ込め、ゆっくりと歩き出した。
私は少しだけ迷ったが、彼について行くことにした。すぐに戻れば大丈夫。
そう思っていたのだが彼はなかなか足を止めることをせず、結局かなりの距離を歩くことになった。
「あの……どこまで行くのでしょうか?」
私がそう尋ねると、彼はぴたりと足を止め、私の方を振り返った。仮面のような無表情だった。一瞬冷たい印象を受けたが、その瞳には多くの感情が横たわっていた。
しばらく互いにじっと見つめ合っていたが、やがて彼が口を開いた。
「……では、ここで」
彼の瞳には戸惑い、焦り、緊張、そして深い親愛が錯綜していた。
深呼吸を一度して、彼は言葉を紡ぐ。
「まず……獣人という存在を知ってますか?」
私は首を横に振った。私は閉じ込められて育ったため、圧倒的に知識が少ない。私が学ぶのは書物からと、たまに現れる私にも親切なメイドたちから。書物のどこにも、そしてメイドたちの言葉のどこにも、『じゅうじん』などという単語は出てこなかった。
「獣人は、獣と人の二つの姿を持つ存在です。人でも獣でもある、けれどそのどちらでもないんです。……僕も、その一人です」
彼はそっと呟くように、最後の言葉を言った。
つまり、彼は今は人に見えるけど『獣人』という存在で、獣の姿も持つ、と。
……私の中に、淡い期待が生まれる。
「……」
彼はじっと私を見つめていた。不安げだけど、どこか期待した瞳で。
ああ、もしかして。ううん、絶対、彼は……。
「……シャル?」
震えた声が出た。
彼は優しく目を細めて言う。
「はい、シャルです」
ああ、ああ。シャル、シャル。
探しに行くまでもなかった。シャルが帰って来たから。私の元にちゃんと戻って来てくれたから。
──……仕方ないわね。ちゃんと戻って来るのよ。絶対よ、絶対。戻って来なかったら、探しに行くんだから。
シャルは約束を守ってくれた。それがとてつもなく嬉しい。
「シャル、シャル。本当に、シャル? 夢じゃないよね?」
「……夢ではありませんよ。僕は、ここにいます。ちゃんと、あなたの元に戻って来ましたよ、リーシャ様」
私は思わずシャルに抱きついた。シャルは少しだけビクついてたけど、私をちゃんと受け入れて、私の背中に手を回した。
嬉しい、嬉しい。ただそれしかない。
どれくらいその体勢でいたかは分からないけど、唐突にシャルが私を引き剥がした。
何で? どうして?
「……人通りが、あるので」
シャルの頬は少しだけ上気していて、瞳が揺れていた。
確かに人目はあるが、私は気にしない。だって髪色のおかげで注目を浴びるのは分かっていたことだから。
シャルがそっと手を出した。
「行きましょう。リーシャ様の事情は、知っています。それで、ですね……」
シャルは一度言葉を置いた。瞳が宙を彷徨う。
「これから、僕と一緒に来ていただけると、うれし──」
シャルが言葉を言い終わる前に、私はシャルにぐい、と近寄った。シャルの手が下がる。それを強引に取って指を優しく絡め、決して離れないよう、きゅっと握る。
シャルが固まった。自然と笑みが浮かぶ。
「行きましょう、シャル。あなたと一緒なら、どこまででも行けるわ」
私がそう言うと、シャルの時間がゆっくりと動き出した。私が握った手を見て、少しだけ力を込めた。
しばらくして、シャルの頬が上がった。笑った。とても優しい笑み。
「……僕も、あなたとなら、どこまでも行けます。行きましょう、リーシャ様」
シャルはそう言って、私の手を引いた。
「ええ、行きましょう、シャル。二人でずっと居れる場所へ」
シャル、シャル。私の小鳥。私だけの青い小鳥。
今度こそずっと一緒にいましょう。
二人っきりで、ずっと一緒に。
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