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第2話 先生だった
あれ、先客がいる…珍しい。試奏室の小窓を覗き込んだ摩耶は呟いた。試奏室の中でグランドピアノを弾いているのはロングヘアの女性。楽器店の常連になっている摩耶も初めて見掛ける人だった。仕方ない、摩耶はエスカレータで2階に降りる。下でシラベノーバ(注)でも弾こう…。
受験からいきなり自由世界に放り込まれても、却って何をしていいのか判らない。摩耶はあれこれ考えたが、結局楽器店をブラブラして時間をつぶしていた。幼い頃から習っているピアノが摩耶の唯一の趣味。とは言え、高校生になってからレッスンを続けるかどうかは、高校のカリキュラムや行事を見てからにしますと、ピアノの先生には伝えている。だって、万が一、高校でピアノ部とかがあったら入っちゃうかもだから。摩耶はありそうもない想像をしながら、持て余す時間を楽しんでいた。
2階の鍵盤楽器売場で試奏できるのは、ヘッドフォンを装着できる電子ピアノ系だけだった。仕方ない。摩耶は居並ぶ電子ピアノを回って思案の後、ヘッドフォンが置かれたマホガニー色の1台の前に立った。えーっと、先生の所にあるのと似てるな。スイッチがたくさんある。まずは電源入れて、ヘッドフォン繋いで、それから、音はグランドピアノ、リバーブは室内でいいか…、エフェクトは触らなくて、他のスイッチは解らないから触らない。よし!
摩耶は耳コピで覚えたアニソンを弾き始めた。ん?こんな音なのかな。リバーブが効いていない気がする。”ROOM”のランプが点いてるんだけど。摩耶がふと横を向くと、ちょうど隣のアップライトピアノのペダルの前にしゃがみ込んで、ペダルを手で上げ下げしてる人がいる。こんなことするのは、きっとお店の人だ。摩耶はヘッドフォンを外すと、声を掛けてみた。
「あの、リバーブってランプついてたら大丈夫なんですよね」
しゃがんでいた女性が顔を上げる。
「あ、私じゃ解んないなあ」
「え?あ!ごめんなさい。てっきりお店の人かと思いました。すみません」
「いいのよ、お店の人、探そうか?」
摩耶は軽いパニックになっていた。恥ずかしい、この人、さっき試奏室で弾いていた人じゃない。
「いえ、大丈夫です。すみません」
「何弾いてるの?」
「えっと、あの…、アニソンです」
「へえ、楽しそうねえ、ちょっと聴いてみていい?」
「は、はい」
女性は隣の電子ピアノからヘッドフォンを取って繋ぐ。
「弾いてみて」
「はい」
摩耶は少し緊張しながらも、若干テンポアップして一番だけ弾き終えた。
「コードギアスだよね」
摩耶は驚いて女性の顔を見る。この人、アニオタ・・・なのかな?。
「ご存知なんですか?」
「うん。アニメは知らないんだけどメロディきれいだから、曲は知ってるよ。Storiesだっけ。アレンジは自分でやってるの?」
「あ、はい、耳コピで適当に」
「へえ、凄いね。私、音楽の先生だから、そういう所、敏感なのよ。あなたは中学生かな?」
えー?先生なの…、参ったな。
「えっと、来月から高校生です」
「そっか。どこの高校?」
「あの、花林高校です」
その途端、女性はパチパチと拍手をした。
「奇遇ねえ。私、花高の音楽教師よ。篠って言うんだけど、吹奏楽部と軽音楽部の顧問もやってるからさ、入学したらお出でよ」
「え?ピアノも弾けるんですか?」
「そうねえ、吹部の方はピアノの出番少ないから、軽音部でキーボードになっちゃうかな」
「軽音部…」
「うん。クラシックもやらないことはないけど、殆どがPOPSか自作の曲ね。丁度さ、キーボードの子が卒業しちゃってみんな困ってるのよ。お名前は?」
「三郷摩耶です」
「三郷さん、摩耶ちゃんね。オッケイ、もう覚えた。実はこっちのシラベノーバさ、もしかしたら学校で買って貰えるかもなの。期末だから予算消化でね。グランドもあるけど、こういうのでいろいろな音色楽しむのもいいものよ」
「はあ」
「じゃ、入学式で待ってるからね」
「は、はい…」
篠先生と名乗る女性は、軽やかな足取りでレジの方へ歩いて行った。入学前に部活、決まっちゃった・・・。その姿を見送りながら、摩耶はしばし呆然としたのだ。
(注) シラベノーバ HAMAYAの電子ピアノのブランド名 (実際にはありません…)
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