自転車

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自転車

冬の朝にしてはやけに目の覚めるような声で「さむーーい!」「今日体育絶対寒いじゃん!」と言い合いながら自転車で私を追い抜かしていったのは、この近くに校舎を構える中学校に通う生徒達だろう。 この一コマに「青春」を感じるようになるとは…と苦笑する。 しかし田舎に住んでいた私にとって、自転車は十分に青春を感じさせるものには違いなかった。 どこへ行くにも自転車を漕いでいたあの頃。 暑がろうが寒かろうが自転車を毎日漕ぎ、 通学時間だけで十分な運動量だったろう。 今や駐車場から職場までの5分もない徒歩移動が 車通勤をしている私にとって唯一の運動時間だ。 そして、そんなことより ずっとどこまでもどこまでも行ける気がした 自転車にまたがっていたあの頃の気持ちを どうして私は持てなくなってしまったのかが 残念で仕方なく思ってしまうのだった。 …なんてありがちな感傷に浸った週の末日、私は庭で自転車のカギを久しぶりに回した。それだけで真っ黒になった指を見て、こりゃ駄目だとホースとブラシを引っぱってきて汚れをとって、抜ききっていたタイヤの空気もパンパンに詰めた。まだ濡れているサドルとハンドルをタオルで拭いてまたがる。余りに久しぶりで少しよろめいたが、そのまま漕ぎ進める。 すっと切る風は素直に気持ちが良かった。 そうそう、これだ 締め切った車内とは違う澄んだ空気が頬を撫でるこの感じ。 私は空気で世界を感じていたのか。 翌朝起きるとなんだか足が重かった。調子に乗りすぎた代償だろう。少々自転車をこいだくらいで筋肉痛になっている姿を見たら、中学生の私はきっと馬鹿にしたように笑うだろう。それでも、私は時折自転車を漕ぐようになった。あの頃を眩しく思うことはあるけれど、あの頃に戻りたいわけでもなかったんだなと思いつつ。
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