血と黙

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 寮に戻った三池を待っていたのは飯塚だった。彼は拳を強く握っていた。どうして、という顔をしていた。 「馬鹿な事を」と、飯塚は言った。  三池は立ち上がる気力もなかった。考えるのも、喋るのも何もかもが面倒臭かった。 「これを見ろ」飯塚は言い、三池に何かを手渡した。それは盗まれたメモだった。「今田の部屋で見つけた。部屋は蛻の殻だった。情報を流したのは今田だ」  三池はその紙を見つめたまま、唖然とした。 「じゃあ、どうして笹原は――」 「あの子は勘違いされやすい。昔からそうだった」と、飯塚は言った。「昔からあの子はコミュニケーションが難しい所があった。吃音だよ。聞いた事があるだろ?彼は小さい頃からそれを理由に苛められていた。同級生からも。親からも。だから、彼はいつしか抵抗を止めた」 「どういう意味だ」 「あの子が捕まったのは身代わりだ。実際にやったのは彼を世話していた先輩だった。あの子はそれにすら抵抗しなかったんだよ」  二人の関係性の根本。笹原はただ抵抗しなかっただけだった。 「どうしてお前らは話し合おうとしないんだ。どうして諦めちまうんだよ」  三池はメモ書きに目を落とした。それはひらがなとカタカナの集合体で、辛うじて文字だと判別できるような代物だった。三池は同級生や母親から言われた言葉を思い出した。シキジショウガイ。自分も笹原と同様、諦めたのだ。だから言葉ではなく、拳に頼った。 「病院からあの子が消えたと連絡があった」と、飯塚は言った。「これが病室に」それから、三池を見つめ、「残念だよ、とても」  手渡されたのは笹原の携帯だった。着信、メールの類はなく、フォルダーには風景写真しか記録されてなかった。  青い海、サトウキビ畑、漁港で働く市井の人々、道を歩く野良猫、赤いデイゴ、赤い屋根瓦の民家、牛車に乗る観光客。  笹原に出会った時、その目の奥に既視感のような物を感じた。あれは、嘗ての自分だった。全てを諦めた、子供時代の自分だった。同じ穴の貉。彼は自分だった。自分は彼だった。  写真をスクロールする指が止まる。それは農場近くの緩い丘、木漏れ日を浴びながら転寝している男の姿があった。農作業中の姿、泥酔した姿、布団を抱えて眠る姿、そんな写真が何枚もあった。  三池は血だらけになった両手の拳を見た。山は潰れ、切れた皮膚から白い筋が見えていた。  結局、自分の手で全てをぶち壊しにした。夢も未来も何もかも。昔も今も変わらない、変われなかった。  三池は床に突っ伏した。手を伸ばしてもそれはもう届かない。流れた血が、再び体内を流れる事はないのと同じように。  それだけは分かった。                                  完
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