血と黙

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 電話の後、三池は今田を誘ってスナックに出向いた。浴びるほど酒を飲んだ帰り、酔い覚ましに歩いて帰った空には満点の星が広がっていた。  星を眺めながら思い出すのは父親の事だった。クソみたいな暴力男だったが時々、本当に時々、嘘のように優しくなる時があった。  風邪をひいた時、仕事を休んで看病してくれた日の事を思い出す。額を撫でる手が優しかった。握った手がとても温かかった。こちらを見つめる眼差しが、大切な物でも見るように柔らかかった。思い出すのは、血と暴力よりも、そんな些末な出来事ばかりだった。  寮に戻るとリビングに笹原の姿があった。彼は夕涼みをしながら、寝っこ転がって携帯をいじっていた。 「よう、もう一時だぜ?良い子は寝る時間じゃねえのか?」  笹原は顔さえ上げようとしなかった。いつもなら、そんな態度も受け流せたが今日は違った。酒がたっぷり体に残っていた。何より、熱帯夜のように暑かった。 「良い子じゃねえよな?お前、振り込め詐欺の受け子やって捕まったんだって?」昔の仲間からの情報だった。「ずんぶんチンケな犯罪をやったもんだな?」  三池は反応を返さない笹原の背中を蹴りつけた。笹原は反射的に芋虫のように体を丸めた。三池は彼の体をひっくり返し、馬乗りになった。笹原はされるがまま、大した抵抗をみせなかった。 「お前の口は食べる為にしかついてねえのか?」三池は笹原の頬をひっぱたく。「何とか言えよ?てめえマゾか?」  笹原は三池を見つめていた。その眼差し、揺れる黒目の奥に何かが見えたような気がした。三池は、また既視感のようなものを覚えた。 「お前、いじめられっ子だったろ?友達も居ねえつまらねえ奴だったろ?」反対の頬を引っぱたく。「お前、女も知らねえだろ?」  額から垂れた汗が、笹原の右頬に落ちた。それが頬の丸みを伝い、少し開いた口内へ流れていった。陽に焼けた肌にぷつぷつと浮かぶ汗の玉、はだけた鎖骨が脂でテラテラと光っている。組み敷いた体から立ち昇るのは土の匂い、息の匂い、手負いの獣から感じる強い、雄の匂いだった。  三池は笹原の首元に手を置き、剥き出しになった鎖骨に噛みついた。  一つ言い訳をするなら、全ては暑さのせいだった。
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