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同じ商店街の中に家と店があるので、カゲオの存在自体は知っていたが、実際、関わりだしたのは、小学校に入ってからだった。
我が家は金持ちなので、母親が働く必要がなかった。
だから、俺はカゲオとは違い、私立の幼稚園に通っていた。
小学校も本来なら私立の名門校にでも行きたいところだったが、北陸の田舎町である海辺町圏内には通学可能な名門校がなかった。
仕方がないので、高校に行くまでは、貧乏人たちと同じように公立学校に通ってやることにした。
金田家は元々、大阪をルーツにするようだったが、戦後のどさくさの時期に、祖父がこの地にやってきて、幹線道路沿いや駅前の土地を安く手に入れたらしい。
海辺町は海と山に挟まれた寂れた田舎町だったが、さすがに駅前の土地は値上がりしたようで、それを売りさばいて、かなりの財を成していた。
金田不動産が経営するアパートは海辺町内にたくさんあった。
祖父は死んでしまい、今は父が跡を継いでいる。
子供は俺ひとりしかいないので、将来は俺が跡を継ぐことになる。
生まれからして、皆と違うのだ。
ただ、田舎町特有の閉鎖的な社会とでも言うのだろうか、それこそ明治以前から海辺町に住んでいる家系の連中は、未だに我が家をよそ者と見ているようだった。
町の名士とも言える我が家は、名誉市民にでも推薦されていい立場だと思うのだが、貧乏人どもが嫉妬しているのか、そのような話はなかった。
影山という家はいくつもあった。
カゲオの一家もそのひとつなんだろう。
同じ学年には影山姓の男が三人いて、カゲオ以外はカゲ太とカゲ助と呼ばれていた。
この三人は遠い親戚らしく、一緒に行動していることが多かった。
見ていてなんだか腹が立つ三人組だった。
俺はひとりで頑張っているのに、弱虫だからつるんでいやがるようにしか見えなかった。
三人がかりでかかってこられるとさすがに面倒なので、大抵、カゲオがひとりのときを狙って「指導」してやっていた。
先日も、カゲオが社会のテストで100点を取って褒められていたので、「調子に乗るな!」と指導してやった。
カゲオの分際で褒められるからいけないのだ。
蔑んだような目をしやがったので「なんだその目は!」とさらに畳み掛けたら、泣きそうな顔をしてやがって傑作だった。
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