箱根

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箱根

 無事、箱根にたどり着いた伊吉だが、当然ながら辺りにいるのは、人ばかりで妖怪の姿など見る影もなかった。 「やっぱり、嘘だったのか? ……いや! まだ諦めるのは早い! 俺は箱根に来たばかりじゃねぇか! もしかしたら、山の方にいるかもしれねぇ! 明日からは山に入ろう」  その日、伊吉は宿で身体を休めた。  快晴に恵まれた翌日、伊吉は朝から関所を越えて、山へと入っていった。街道からそれた山道は、当然のことながら整備などされておらず、非常に歩きづらい。道を塞ぐ植物たちを小刀で切って、道を確保しつつ、伊吉は昼頃まで歩き続ける。そのせいで春にも関わらず、彼は汗だくになってしまった。  しかし、それだけの苦労を重ねても、化物の姿はどこにもない。 「くそ! やっぱりあの見世物小屋の化物は偽物だったんだ! 俺はなんて無駄な時間を過ごしちまったんだ!」  伊吉は大声を出して、頭をかきむしる。 「俺は大馬鹿者だ! あんなのに騙されるなんて! 無駄に金を使っちまった! ああ! くそ!!」  小刀を振り回して暴れていた伊吉だが、しばらくて、がっくりと項垂れた。 「このまま、こんな山奥にいても意味がねぇ。箱根でもう一泊して、江戸に帰るか」  伊吉は来た道を戻りはじめる。そんな彼の後ろ姿を、じっと見つめる影があった。    時刻はすでに昼をまわっている。生い茂った森の中は、先程よりもなんとなく薄暗い雰囲気を漂わせていた。  伊吉は足元に気を付けながら、自分が切り開いてきた道を下っていく。しかし、いくら下っても、街道にでない。 「おかしいな。俺はそんな山奥に入っちまってたか?」  だんだんと日もかげり、気持ちも焦る。しかし、辺りに広がるのは鬱蒼とした木々と、獣道だけ。そしてなぜか、霧が出始めた。霧は瞬く間に広がり、伊吉は自分の足元すら見えなくなる。   「どうなってやがる! さっきまで霧がでるような気候じゃなかっただろ!」  伊吉は怖くなり、思わず叫ぶ。そんな声に、答えるように囁き声が聞こえてきた。 「おい、生き物がいるぞ」 「あれは、物語で登場する『人間』というものではなかったか?」  聞こえてくる不思議な会話に、伊吉はたまらず叫ぶ。 「な、なんだ!? どこだ! どこにいやがる!」  だが、伊吉の声が聞こえないのか、会話は続けられる。 「ほう! あれが『人間』か。こいつはいいものを見つけた」 「捕まえて見世物にしよう」 「じょ、冗談じゃねぇ!」  『見世物』という不吉な言葉に、伊吉は荷物を投げ捨て、走り出した。 「逃げたぞ!」 「追え追え!!」  伊吉の周りの草が音を立てて揺れる。 「ふざけんじゃねぇ! いったい、なんだってんだ!!」  伊吉はもう自分がどこを走っているのかわからなくなりながら、ひたすら走り続けた。 「うおっ!?」  だが、霧が濃いことが災いし、伊吉は木の根に足を取られ、派手に転ぶ。 「止まったぞ!」 「それ今だ! 捕まえろ!」 「やめろ! やめろーーー!!」
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