1人が本棚に入れています
本棚に追加
/1ページ
生贄に名乗りをあげたと伝えると、年下の男は今にも泣きそうな顔で「なんで」と絞り出すように言った。
「なんとなく?」
今年は流行病で町の人が何人も床に伏せっている。死人こそ少ないが、それも時間の問題だろう。
人々は絶望的な状況を前に非科学的なものに頼ることを決めたらしい。しかも若い身体でないといけないとかで、そんなアホらしい事に未来ある若者が犠牲になるくらいなら、身寄りも生への執着も無い自分が……と思い立った。
「悲しんでくれる人が居たなんて意外だったが、ありがとうな」
男が立つ一本道の先に、龍の泉がある。龍の存在を信じているのなんて今どき老人ぐらいだろうけれど、生贄は泉に浸かってその肉体を龍に捧げなければならないらしかった。
(もし龍なんて居なかったら……ただ溺死するのも不味いよな、どこか知らない土地まで行けばいいのかな)
道を譲るつもりが無いのか、男は俺を睨みつけて言う。
「龍に食べられちゃうんですよ、いいんですか」
「うん。ちゃんと身体も清めてきた」
「犠牲になってまで、町の人を救いたいんですか?」
「大それた理由は無いさ、ただ俺が適してるかなと思っただけで」
こんな時だが、俺はこの男との出会いに思いを馳せていた。随分昔から知り合いのように感じるが、思い出どころか名前も思い出せないのは何故なのか。
「……お前、誰だっけ」
「逃げちゃいましょう。こんな事を繰り返す必要なんて無いですよ」
突然男が屈んだと思ったら、言葉にしがたい何かが軋むような音とともにその姿形が変わっていく。
男は、龍だった。
「グアァァ……」
薄く開いた口から低く唸るように声を響かせると、頭に意思が届く。それはどうやら「一緒に行こう」と言ってるようだった。鋭い爪の生えた大きな龍の前足が、俺の前にゆっくりと差し出される。
そもそも龍に食べられに来たわけだし、断る理由も無い。俺はその大きな手に、自らの手を重ねて(端に乗せただけだが)龍の目を見上げた。
「ま、俺は生贄だから。どこにでも連れてってくれよ」
最初のコメントを投稿しよう!