ハジマリの物語

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ハジマリの物語

〈side:HAKU〉 ずっと。 ずっと欲しかった。 初めて、見つけた時。 ドキドキが止まらなかった。 世の中にはこんな可愛い子がいるのかと思った。 パッチリとした澄んだ無垢な大きな瞳。 滑らかな肌。小ぶりだが、鼻筋はスッと通ってその下にはさくら色の小さな唇がぷるぷると艶めいている。 泣き顔のその子は、俺を見て照れたように笑った。 その柔らかい、癒されるような微笑みに更に心臓を鷲掴みにされた。 この時。 絶対、自分のものにしたい──いや、絶対自分のものにすると決めたのだ。 だから。 許せなかった。 俺がヤりたくてもできないことを簡単にヤっているヤツを見ると、怒りで頭が真っ白になる。 そいつは──俺のモノだ! ジクジクと沸き上がるどす黒い嫉妬。 身体の奥深くに根深く巣食った執着心。 一生、自分の手元だけに繋いでおきたい誘惑にかられるほどの独占欲。 「シオ……」 俺は手のひらに食い込むほど、シオリの……妹のオモチャ箱に転がっていた指輪を握りしめた。  ◇◇◇◇◇ 〈side:SHIO〉 あの日。 初めてお兄ちゃんに会った日。 祭りの縁日でママとはぐれ、道端で泣いていたあの日。 急に今まで見たこともないような綺麗な顔が突然目の前に現れて、あたしはそれに見とれて思わず泣き止んだ。 (キレイ……!) 超絶美貌の天使に驚いたように見つめられ、カッと顔が火照ったのを今でも思い出す。 「これ、あげる」 その天使は七色に光る小さなガラス玉の指輪をあたしの手のひらにのせてくれた。 それは、さっきまであたしが物欲しげに眺めていた屋台に並んでいたオモチャの指輪だった。 「泣かないで」 あたしの手は、柔らかくて温かい手に指輪ごとギュッと握られる。 「あ、ありがと」 あたしは目の前の天使のように綺麗な男の子──その時はお兄ちゃんだと知らなかったけど、に思わずニッコリしてお礼を言った。 「ねぇ、名前は……?」 「……シオリ」 「シオリ?」 コクン、とあたしが頷くとパアッと花が咲くように天使は笑った。 「シオリ。笑うとメチャメチャ可愛いね。これで僕と結婚してくれる?」 ポフン、と撫でられる頭。 結婚という言葉に脳内いっぱいに広がるお花畑のイメージとその笑顔にあたしはドキドキが止まらなかった。 思わず、また真っ赤になって俯く。 「うん」 あたしは消え入るような声で返事をして、天使のプロポーズを受けたのだった。 その後。 ママに連れていかれたレストランで、再婚相手の子ども眞中 琥珀(まなか こはく)くんよ、とその天使を紹介された時には、ビックリし過ぎて何も食べられなかったんだっけ。 「宜しく、シオリ。……これからもずっとね」 あの時も蕩けるような笑顔を向けられて足元がフワフワした。 あれから十年。 幼女だったあたしは中学三年生になり、お兄ちゃんは高校生になった。 あの時の指輪は大事にオモチャ箱にしまっておいたんだけど、最近なくなっていることに気づいたのだった。 ◇◇◇◇◇ 〈side: HAKU〉 やめておけ! 今なら間に合う。 俺は──アイツの兄だ。 ただ、俺はオモチャの指輪を握りしめて立ち尽くす。 後ろを振り返るのは、……怖かった。 背後の植え込みの向こうには、俺の同級生から告白されているシオリがいた。 相手の男を殴り倒し、シオリを連れ戻して家に閉じ込めてしまいたい……。 その衝動にひたすら、耐える。 こんなはずではなかった。 父母の再婚……それだけなら血は繋がっていない兄妹のはずだった。 この指輪さえ、なかったら。 俺はこんなに苦しむことはなかっただろう。 シオリの留守に部屋を片付けていたアノヒトが……シオリの母親があんなことを言うまでは。 「あら? 随分と古いオモチャ箱ね。フフ……大介さん譲りかしら。モノが捨てられないのは」 よせば良いのに、俺は扉を開けてしまったんだ。 「それは……どういうこと?」 うろたえたようにアノヒトは目を見開いた。 その顔はやはり娘のシオに似ていて、無性に苛つく。 「え? 何のこと?」 とぼけようとしているが、語尾が震えている。 「父さん譲りってどういうこと? 説明して」 低い俺の鞭のような声に、普段の穏やかな俺の姿とのギャップからアノヒトは衝撃を受けていた。 「……琥珀(こはく)くん……」 「言えよ!」 容赦のない鋭い俺の声にアノヒトは、俺達に十年間黙っていた秘密を話し出した。 ……それは、俺のシオリとの将来を描いていた未来設計を根本からブチ壊す爆弾だった。 俺とシオリ。 俺達の父母は同じ人物……俺達は正真正銘の血の繋がった兄妹だったのだ。 そして、それをシオリは知らない。 だから俺はシオリのオモチャ箱から指輪を持ち去ったのだった。 ……それは許されない恋だったから。 ◇◇◇◇◇ 〈side:シオリ〉 またか……。 「うざ……」 思わず口からついて出てしまった。 兄のことで大事な用件があるというから、迂闊にも公園までついてきてしまったけど、結局なんのことはない、告白だった。 「君のことは守ってあげたいと思っている。何もしなくていいから、僕と付き合ってくれ。欲しいものはなんでもあげるから……」 なんつー告白。 既に騙してこんなところに連れてきたところで大幅マイナスだ。 ブリザードのように冷たいあたしの視線を受けながらも、必死に食い下がるお兄ちゃんのクラスメートだという高校生。よく分からないブランドに身を固めた、ひょろりとした自意識過剰な男。 「本当にあたしの欲しいものをくれるの?」 あたしは小首をかしげて目の前の男を見上げた。こうすると男が喜ぶことは計算ずくの行動だ。 男は鼻息あらく、夢中になってブンブンと頷く。 「あたしの欲しいものはね、ハクよ。お兄ちゃんしか要らないの。あんたなんか、要らない。さっさと消えてよっ!」 「なっ……!」 あたしの言葉に顔を真っ赤にした男は、反射的に手を振り上げた。 本能的にあたしは顔を背けて身体を縮こめる。 「シオ!」 大好きな声が響き渡ったかと思うと目の前の男が、瞬時に吹っ飛んだ。 「お兄ちゃん!」 目の前の男を殴り倒して立っていたのは、いつの間にか現れたハク。 「帰るぞ」 お兄ちゃんは怒ったように、あたしの手を強く引っ張った。 「うん」 あたしはその腕に幼い頃のように絡みつく。 お兄ちゃん……ハクの隣は安心する。 ここのポジションはあたしだ。誰にも譲らない……。 ◇◇◇◇◇ 〈side:HAKU〉 シオリを連れて立ち去ろうとした時、 「おい、待てよっ!」 ブロック塀に頭をぶつけた男が頭を振りながら立ち上がった。 名前、何ていったっけ。確か同じクラスの山田? 山本だっけ? ……覚えてないや。 「お前ら兄妹なんだろ? 気持ち悪い奴らだな……デキてるのか?」 男は薄気味悪い、虫か何かを見るように俺達兄妹に視線を投げかけた。 「そいつ、顔は童顔だけど良い身体してるもんな。もうヤったのか。まるで動物みてぇ……、ブキャッ!」 シオリは近くにあった水飲み場の蛇口にひねり、親指を当てるとそいつに向かって水を飛ばす。 ナイス!シオ。 あぁ、これ。昔よくシオリが庭でやってたやつだなぁ……スクール水着が可愛かった。 「うるさいわね。あたしたちは再婚同士なの。何か文句ある?」 シオリの言葉がボンヤリ思い出に浸っていた俺の心に刺さる。 「……そんな!」 男は衝撃を受けたのか、びしょ濡れになりながらガックリと俯いた。 俺もスクール水着の妄想から引き戻され、心に重いトゲを刺したままシオリを促して歩き出す。 シオリは知らない……。 俺達が実の兄妹だということを。 ……俺と親だけが知っている、この事実はシオリに恋焦がれる俺を、見えない壁のようにギュウギュウと押し潰していく。 「あれ……?」 シオリがご機嫌に隣を歩きながら、俺の手のひらに握られた指輪に気づいた。 「何でこれ、お兄ちゃんが持ってるの?」 「あぁ……掃除していたら見つけたんだ」 「そっかぁ。探していたんだけど見つからなくて。良かった」 シオリは嬉しそうに笑う。 それを見て、何かが俺の心の中から溢れ出していった。 ……バカだな、俺は。 許されない恋とかそんなものは関係ないじゃないか……。 俺が覚悟をすれば……、俺だけが墓場まで親の秘密を持って行けば良い。 「なぁ、シオ。この指輪、覚えてる?」 俺は真っ直ぐにシオリを見つめて問いかけた。 「うん……」 シオリは照れたように俯く。 「もう一回、やり直してもいいか?」 俺の言葉にコクン、とシオリは頷く。 まるで十年前と同じように。 「シオリ……俺と結婚してください」 俺が差し出した硝子のオモチャの指輪は、沈みかけた夕陽を受けて七色にキラキラと煌めいた。 〈おしまい〉
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