31人が本棚に入れています
本棚に追加
七時閉店──
そろそろ店じまいのころ。入り口に取りつけてある呼び鈴がカランと音を鳴らした。
「すみません」
僕は顔を上げた。
見ると太鼓腹の男が汗をふきふき店に入ってきた。
「兄ちゃん悪いね。ご主人呼んでもらえる?」
「あ、はい……」
僕はのれんの裏側にある遮断したドアを開けた。
ほろ酔いかげんのじいちゃんがつっかけを履いているところだった。
それから「いらっしゃい」と言いながら、木綿の藍絞りの割れ目からが顔を覗かせた。
「すんませんねご主人、これなんやけど、よそで現像してもろうたらこないなもんが写っとりまして、ちょっこら見てもらえまっか?」
男はポケットから一枚の写真を取り出した。
「どれ、どれ」
じいちゃんはカウンターに置いてある老眼鏡をかけると、しげしげと写真を眺めた。
「お客さん、これ人魂や」
僕は驚き、男の顔は蒼白になった。
「そらこんなもん写っとったら気ぃ悪い」
「実は、送別会で皆で撮ろうちゅうことになりましてね。ひょっとして、誰か死ぬんやろうか?」
じいちゃんはかかかと笑った。
「人魂はそない悪さをはせいへん」
「ほんまでっか?」
男は半信半疑に尋ねる。
「旦那さん、心配せんでもええ。しかるべきところにお願いして、処分するさかい。安心して置いていきなはれ」
男は安堵の表情を浮かべ、上着から扇子を取り出した。
ひとしきり世間話をすると客は上機嫌で店を後にした。
──以前は気味悪がって引き取りたがらないお客が、ただ置いていくだけやった。それがSNSの書き込みで、この手の持ち込みが多くなった。
奥から大人たちのぼそぼそとした会話が聞こえてきた。
「肝心の現像の売上はさっぱりだ。お陰で日銭が稼がれへん」
「学校やら、七五三、成人式やらがあるやろう?」
「あるにはあるが、昔ほどじゃない」
じいちゃんは奥の会話に気にするでもなく、札の貼ってある棚の中からからアルミの半斗缶を取り出した。
「で、拓哉は志望校決めたんか?」
空白の未来しか思い浮かばない僕は答えられなかった。ただ「まだ」とだけ答えた。
「高校だけは出た方がええぞ
中卒やとどこも雇ってくれへん」
「分かってる」そう言いつつ僕は今しがた起こった出来事の方が気になった。「──じいちゃん、さっきの客、あれ、なんやった?」
「これや、肝冷やすなよ」
そう言ってじぃちゃんは写真を僕に手渡した。
花束を持った女性の周りを会社員たちが囲んでいた。和やかな送別会のはずが、どうしたことか、頭上にサッカーボール大ほどの人魂が横切っていた。
「これ、心霊写真?」
「そうや。処分に困ったお客が置いてゆく。それで、取り合えずこのせんべい缶に納めるわけや」
「缶の中、見てもええか?」
「ええけど拓哉、一人で寝られんようになってもじいちゃんは知らへんぞ」
笑いながらアルミ缶を手渡した。
見ると缶の中に写真がびっしり納められていた。
「こんなに?」
「いっぱいやろう。これで、ざっと一年分や」
僕は写真を一枚取り出した。
うぇ……
と、思わず呻いた。
旅行先のカップル。男の肩に明らかに別の手が乗っている。
園児の集合写真は子供の足が一本多い。
「動物園のサル……サルにサルの幽霊?」
「霊長類は人に近いからこういうのもありや」
日本人形に真っ赤な光線。
外国の城は二階の窓辺に浮遊する黒い影。
「わっ、なんやこれ!」
バイクと一緒に写る若者。背景の木造校舎の窓にたくさんの子供の顏、顔、顔。
「この人、この後バイク事故で片足なくしたんや」
「悪い霊なのか?」
「どうやろう……あるいは、事故が起こることを知らせようとしたのか、その辺りは住職に聞かな、じいちゃんにもわからへん」
「水に映る女の人の霊は?」
「これはあかんやつや。特に盆時期の水遊びは気いつけたほうがええ。足をひっぱるでな」
じいちゃんはアルミ缶の蓋を閉め、棚に戻した。「拓哉、そろそろ店じまいにしようか。悪いけんど、店の看板入れてくれるか?」
カラン──
不意に店のドアが開いた。
「じいちゃんお客……じゃ……ない……?」
人影が見えた気がしたのに誰もいない。
きっと写真のせいで敏感になっているのだと僕は思った。
最初のコメントを投稿しよう!