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「ああ、はい、大丈夫です……」
少し間を置いてから、少年は独り言のようにそう言った。
「ありがとうございます。では、まずあなたのポケットにある財布を見せてください」
男は出来るだけ穏やかな口調を心がけて言った。しかし少年は、言葉にならない声を漏らしたあと「財布は、持ってないです」と呟いた。
「失礼、あなたの財布ではなく、あなたの盗んだ財布です。別に、盗んだことに関してあれこれ話そうという訳ではありませんから、さあ」
男はそう言って、少年に手を差し出した。少年は腑に落ちないといった様子で、渋々ポケットから小さな財布を取り出し、男の手の上においた。
「ありがとう。あなたはこの財布の中身を使いましたか?」
「あ、いえ、使ってません」
少年は視線を地面に落としてそう言った。「でしょうね」と、男は笑って返した。そして、コートのポケットからメモ帳を取り出した。
「このメモ帳に、その財布に関することが書いてあります。どうやら、『財布の持ち主以外の人物は、財布の中身を使えない』らしいですよ?」
少年は、きょとんとした顔を男に向けている。男は少年のまん丸な目を見てさらに続けた。
「私はこういった物の特殊な性質のことを、『怪異』と呼んでいます。そしてあなたの持っているその財布にも、『怪異』が起こっているのです。私はその『怪異』を解決するという仕事のために、あなたに話しかけたのです」
男はそこまで言うと、メモ帳をポケットに入れ、「ちょっと見ててください」と財布に手をかざし、目を瞑った。しばらくすると、エッという少年の声が聞こえた。男はそれを聞くと、まるで自慢でもするように、「ほら、その黒いもやが、怪異の原因です」と言った。
やがて男は目を開けた。少年はぽかんと口を開けながら、男の手の上の財布を眺めていた。男はそれを見ると、「皆あなたと同じような反応をしますよ」と笑った。
ふと、鍵が開くような音が聞こえた。すぐ側にあった扉が開き、この店の店員らしき女性が顔を覗かせた。
「すみません、すぐに開店しますので、もうしばらくお待ちください。」
女性はそう言って頭を下げると、首を傾げて店の中に入っていった。男も小さく頭を下げると、少年の方を振り返って言った。
「せっかくですから、私はここで昼食を食べて行きます。その財布は、交番にでも届けておくのを勧めますよ」
男はそう言うと、扉の前に立った。そして、遅れて営業を開始した店の中に入っていった。男は既に、メニュー選びのことしか考えていなかった。
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