1 愛おしき座敷童子

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「そうですか。貴重なお話、ありがとうございました」  男がそう言って頭を下げると、女性も頭を下げ、自転車を走らせ去っていった。  それを傍目に、男は、手にしたメモ帳に目をやった。メモにはこの周辺の簡単な地図と、『怪異』についての情報が記載されている。  男はその地図に従って数分ほど歩き回り、やがて一軒の年季の入った平屋の前で立ち止まった。かなり大きな日本家屋だが、その庭は落ち葉だらけで、あまりきちんと手入れされているようには見えなかった。表札には『沼田』とある。この場所で怪異が起きていることは、間違いないだろう。  遠くでカラスの鳴く声が聞こえた。ふと見上げると、雀が鋭い鳴き声を上げながら、薄暗くなりつつある空を飛び交っている。雀は、この家の周りを取り囲んでいるように見えた。  男はメモ帳をコートのポケットに入れると、インターホンを押した。チャイムの音が微かに響く。しばらく待っていると、「はい」という掠れた声が帰ってきた。 「すみません。わたくし、多賀谷(たがや)と申します。お伝えしたいことが御座いますので、少々お時間よろしいでしょうか?」  男はゆっくりとそう言った。相手は数秒の間黙り込むと、やがて不貞腐れたように「いらん、帰れ」と告げた。その口調は攻撃的だったが、一方でどこか魂の抜けたような弱々しいものだった。  男は先程の取材内容を思い出した。どうやらここの住人は沼田平蔵という八十代の男性で、よく町内を散歩している姿を目撃されていたようだ。  自宅の広大な庭の手入れを趣味としており、その庭に来る雀たちに餌をやるなど、優しいおじいさんというのが周辺住民の印象であったらしい。  ところが、去年頃から彼の行動がおかしくなったようだ。滅多に人前に顔を出さなくなり、町内に居る何人かの知り合いが訪ねても、門前払いをされるようになってしまったのだ。  その知り合いにも話を聞いたところ、彼は自分たちのことを忘れてしまっているようだったという話だ。  最近はこの周辺から怒鳴り声が聞こえるようになったという証言もあり、住民からは、認知症か何かになってしまったのではと噂になっているようだった。  男はもう一度インターホンを押したが、再び返事が帰ってくることはなかった。もうこの際はやむを得ないだろう。男の使命は、怪異を解決することだ。  男は家の裏手に回ると、塀の僅かな溝に足をかけ、まるで泥棒のようにすらりと敷地内に侵入した。そして、荒れ果てた庭を静かに駆け抜け、ただ直感の赴くままに、縁側から屋内へと入り込んだ。  その後はもはや迷う必要はなかった。廊下の突き当りにある襖から、強い怪異の気配を感じた。  男はその襖へと足を進めようとした。ところがその時、男の背後で怒鳴り声が響いた。 「何をしとるかあ!」  男は少しためらったものの、それには答えず早足で廊下を進み、襖を開けた。そこには、人形のような可愛らしい少女が、部屋の隅でじっと佇んでいた。 「なるほど、これだ」  男はそうつぶやくと、少女に向かって手をかざし、きつく目を瞑った。 「いい加減にせえ!」  平蔵が男の後を追い、愛しい座敷童子のいる部屋へと飛び込んできた。だが、そこで平蔵が目にしたものは、座敷童子の娘などではなく、数羽の雀たちだった。  男は目を開けると、唖然とする平蔵の方を見て言った。 「あの少女の正体に、あなたは気づいていなかったようですね」  男は続ける。 「この雀たちは、あなたに大事にされていたのを覚えているのでしょう。今でもよほどあなたのことを好いているようですよ。それで、あなたに思い出してほしくて、このようにあなたを騙していたのです。」  正体を露わにされた座敷童子もとい雀は、一斉に部屋を飛び出すと、逃げるように、縁側から空へと消えていった。 「もっとも、彼らがどのようにしてあのような幻術を使ったのかは、定かではありませんが。まあとにかく、怪異は既に解決しましたから、私の仕事は終わりです」  平蔵は尚、あっけにとられたままその場に立ち尽くしている。男は、雀が飛んで行った縁側の方に目をやった。 「あなたがあの少女に抱いていた感情は、決して忘れてはいけませんよ。そうすればいつか、思い出せる日が来るかもしれませんから」  男は笑顔でそう告げると、平蔵の横を悠々と通り過ぎていった。平蔵はそこでようやく我に返り、辺りを見回した。 「あ、あんたは一体……」  平蔵はそう言って後ろを振り返った。しかし、そこに男の姿は無く、ただ冷たい風が吹き込んでくるだけだった。
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