1. 僕と機械仕掛け

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 消毒液のにおいがする真っ白い部屋に突然あらわれたのは、いままで見たことのない大人の男の人だった。 「はじめまして、アキ」  ずっとお母さんと二人だけで暮らしていた僕は、大人の男の人はなんとなく苦手だった。だってたいてい体が大きくて、声がちょっと低くて、力が強い。持ち上げられたらそのままどこにだって連れて行かれてしまいそうな、大好きなお母さんと二度と会えなくなってしまいそうな、そんな気持ちになってしまう。  でも、その男の人はとは違っていた。全体的にほっそりとして、色の白い顔にふんわりとした笑顔を浮かべて、まるで大人が大人にやるみたいに礼儀正しく右手を差し出してくるから、つい僕も手を出してしまった。  握り返すと、その手は大きくて冷たかった。ベッドの上で動かないお母さんとおなじくらい冷たかったから、驚いた僕はさっと手を離してしまうけれど、その人は嫌な顔をしなかった。だから僕は「この人は怖くない」と思ってちょっとだけ安心した。 「あなた、誰?」僕は男の人に聞いた。 「私は、あなたのお母さまのお友達ですよ」と、彼は言った。  僕はいままでに一度もお母さんの友達を見たことがない。お母さんは口癖のように「アキ、お母さんにはあなただけよ」と言っていたし、実際、僕たちの暮らす小さな部屋にほかの誰かがやってくるようなことは一度だってなかった。  ナーサリーの友達には、お母さんだけでなくお父さんがいたり、たまにお母さんが二人いたり、お父さんが二人いたりする。それどころか、おじさんやおばさん、いとこ、おじいさんやおばあさんといったたくさんの人たちと暮らしている子もいる。でも、僕とおなじようにお母さんだけ、もしくはお父さんと二人だけで暮らしている友達だって珍しくはないから、さびしいとかうらやましいとか、そういう気持ちになったことはない。 「お母さんには、友達なんかいないよ」  少しだけ男の人を怪しんだ僕がそう言うと、彼はほんの短い間、考え込むみたいに動きを止めてから、用心深く言葉を選び直した。 「そうですね……便宜上『友達』という言葉を使いましたが、いささか正確さを欠いたかもしれません。あなたはまだ幼いから、わかりやすいように配慮したつもりでしたが、気分を害したならば申し訳ありません」 「きぶんをがいした?」  それ以外にも「べんぎじょう」とか「いささか」とか「はいりょ」とか、たくさんの意味のわからない言葉があったけれど、聞き返そうとしても一番最後の部分以外はもう思い出せなかった。 「『気分を害した』というのは、嫌な気持ちになったということです。ともかく正確に言い直しましょう。私はあなたのお母さまと契約しているんです。彼女の身に万が一の——あなたの面倒をみることができなくなるようなことが起きた場合に、その後のいろいろな仕事を引き受けることになっています」
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