1. 僕と機械仕掛け

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 あいつが家を出て行った気配はない。別々の部屋とはいえ、いけ好かないロボットと二人きりで家にいるのは落ち着かない気持ちだった。腹立たしい気持ちのままに朝ごはんを断ったものの、部屋にこもって数時間もたてばお腹はぺこぺこになり、僕はだんだん心細い気持ちになっていく。  窓の外に目をやると、たくさんの建物の屋根の向こうに大きな四本の煙突が見える。川向かいの公園にあるその煙突が煙を吐くところを、僕は一度も見たことがない。 「あの煙突は、もうお仕事を終えているのよ」と、お母さんは言っていた。  公園のある場所には昔、火力発電所が建っていて、電気を作るために毎日たくさんの燃料を燃やしていた。その頃は、あの煙突からは毎日もくもくとたくさんの煙が出ていたのだと話してくれた。でも、僕が生まれるよりもずっと前にその発電所は廃止されてしまったから、いまはただランドマークとして煙突が残っているだけなのだと。  その公園には毎週のようにお母さんと散歩に行った。大きな川にかかる橋を渡り、少し進めば公園の入り口にたどり着く。僕はお母さんと手を繋いでリスや水鳥に餌をやったし、公園の中にある外国風の庭園にある、きれいに手入れされた季節ごとの庭木や花を眺めた。お母さんは花が好きだったけど、僕たちの暮らす小さなアパートメントの最上階にはもちろん庭なんてないから、窓際にちょっとした鉢植えを置くので精一杯だった。 「だったら、大人になったら僕が大きいお庭のある家を買ってあげるよ。お母さんがたくさんお花を育てられるような家を」  僕がそう言ったらお母さんは嬉しそうに笑って、それから顔を背けてそっと涙を拭った。大好きなお母さんを喜ばせたくて口にした言葉でお母さんが泣いてしまったことに、僕はびっくりして謝った。でも、お母さんは左右に首を振りながら僕をぎゅっと抱きしめた。 「違うわ、アキ。大人はね、嬉しくて泣くこともあるのよ」  僕にはまだ、嬉しくて泣く気持ちはわからない。  あの公園に行きたいな、と思う。でもひとりで川の向こうに行くことは禁止されていた。もちろんその禁止事項を決めたお母さんはもういないのだけど、ひとりであんな遠くまで出かけるのはやっぱりちょっと怖い。だからといって「AP-Z92-M」に散歩に連れて行ってと頼む気ことなんて絶対に嫌だから、結局僕はぼんやりと窓の外を眺めることしかできない。  どうして、お母さんがいまここにいないんだろう。あいつは優しげな顔をしているし、嘘つきであること以外はそんなに嫌なやつではない。でも、お母さんではない誰かがここにいて、しかも僕が知らないお母さんのことをしたり顔で話すのはどうしても受け入れられない。  燃やすんじゃなかった。そうしたらもしかしたらお母さんは目を覚ましたかもしれないのに。あれは何かの間違いで、ただ眠っていただけだったかもしれないのに。そんなことを考えているうちにさびしくなって、お腹もすいて、惨めな気分で僕はただ膝を抱えた。
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