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【第9話:かばでぃと鬼教官】
聳え立つ超高層高級マンションの前で、僕は緊張……ん? 意外と緊張していないな……。
「……カバディカバディカバディ……」
「みーんみーんみーん」
姉の貴宝院葵那さんは、僕に聞かれているのを少し意識しているのか、ちょっと恥ずかしそうに小声で、妹のさやかちゃんは嬉しそうに元気よく、それぞれのカバディとみーんを奏でている。
その横で僕一人緊張しているのが、なんだか馬鹿らしくなったからなのかもしれない……。
ただ、それでもやはり日本でも有数の美少女の家にお邪魔して、これから一緒にお鍋をつつくと言うのはとんでもない事なわけで、僕は未だに頭の整理が追い付かないでいた。
そうこうしているうちに、ちょっとしたテーマパークかとツッコミたくなるような豪華なオブジェや花壇、植え込みの横を通り、オートロックをくぐってマンションの中、玄関ホールにたどり着いた。
「ふぅ……もうここまでくれば大丈夫ね」
そして、僕を挟んでサラウンドで奏でられていたカバディとみーんの連呼がようやく終了する。
「ここの一番上だよ~!」
「さやかちゃんは元気だね~……と言うか、最上階なんだ……」
こういうマンションの最上階ってめちゃくちゃ高いんじゃないのだろうか……。
思わずそんな事を考えていると、
「神成くん? 何してるの? エレベーター乗るよ~」
気付けば、二人ともエレベーターに乗り込んでいた。
「あ……貴宝院さん、ごめん!」
僕もそう言って慌ててエレベーターに乗り込む。
動き出したエレベーターの中で、高速で増えていく数字を見て「早ぇ~」などと思っていると、さやかちゃんが僕の服の袖をくいくいと引っ張ってきた。
「ん? どうしたの?」
と、さやかちゃんに視線を移すと、きょとんとした表情で僕を見つめ……爆弾を落とした。
「しんじょう? 貴宝院さんだと、さやかも貴宝院だよ? わかんなくなっちゃうから、お姉ちゃんは、お姉ちゃんか、葵那って呼んで!」
そして、狭いエレベーターの中にひびく「ポーン♪」という到着音。
そして、なんとなく居心地悪く無言でエレベーターを降りる僕と貴宝院葵那さん。
そしてそして、もう一度落とされる爆弾……。
「あっ、でも~お姉ちゃんは、しんじょうのお姉ちゃんじゃないから、しんじょうは葵那だね! ママはお姉ちゃんのこといつも葵那って呼ぶんだよ! 一緒だね!」
僕の中で、ちゅど~んという爆発音が鳴り響いた気がする……。
さやかちゃんに内面を爆破され、エレベーターを降りたところで固まる僕だったが、貴宝院さんは僕に近づくと、
「(神成くん、ごめんね。悪いんだけど、さやかがいる時だけでもいいから、合わせてあげて)」
と、囁いてきた。
「ぬ″ぁ″!?」
あ……変な声が出た……。
基本、ボッチを愛する僕に、それはちょっとハードルが高すぎないですか……。
僕にとって、一番親しい女子は小岩井だ。
だけどハッキリ言って、親しくなれたのは僕の力ではない。
小岩井の方が、誰とでも気さくに話す高いスキルを持っていたからこそ、僕も一年ほどかけて、苗字だが呼び捨て出来るぐらいには仲良くなったのだ。
そう……それでも一年かかったのだ。
それを今この場で、貴宝院さんのような子を下の名前で呼ぶなど何の試練だ。
「しんじょう?」
でも、試練は待ってくれないようだ……。
「さ、さやかちゃん、わかったよ。お姉ちゃんの事は、あ、葵那って呼ぶね」
「アッアイナじゃなくて、アイナだよ~」
さやかちゃん……君は鬼教官か……。
でも、僕がこんなに困っているのに、貴宝院さんはあまり気にしていないのか、苦笑いを浮かべて見ているだけだ。
「わ、わかったよ。ちゃんと、葵那って呼ぶね」
「うん! じゃぁ、呼んでみて!」
オーマイガッ!?
鬼教官の期待に満ちた目が……。
「あぁ~……葵那。呼び捨てでごめんね」
「ふふふ。謝らなくていいよ(神成くん、ごめんね)」
「ちゃんと呼べたね!」
なんとか鬼教官のOKを頂けたようだ……。
「じゃぁ、さやか、神成くん、家に入ろうか」
どうやら僕がテンパっているうちに、部屋の扉の前まで辿り着いていたようだ。
いや、扉というより玄関だな。
マンションなのにかなり豪華で広い玄関がある造りになっている。
「お、お邪魔しま~す……」
玄関の門を開けて家の中に案内されると、長く広い廊下の突き当りの部屋に通された。
「ひ、広い……」
三〇畳はありそうな広いリビングに、洗練された家具や調度品が置かれ、まるでモデルルームみたいだ。
食事に招待されて少し浮かれていたけど、あまりにも住む世界が違う豪華さに、逆に少し落ち着く事が出来た気がした。
そんな事を感じながら、ちょっとキョロキョロとリビングを眺めていると、奥から声が掛けられた。
「神成くん。こっち来てもらえるかな?」
声は、リビングに接する部屋の中から聞こえて来た。
ここからでも畳が見えるので、どうやら和室のようだ。
「あ、ごめん。凄いリビングだったから、ちょっと観察しちゃったよ」
そう言って和室の中に入ると、次はさやかちゃんに手をひかれ、部屋の真ん中に置かれたローテーブルの方に引っ張られていく。
布団は片付けられているが、どうやらコタツのようだ。
リビングと違って、こちらの和室ならまだ多少落ち着いて過ごせそう。
そして、そのコタツの上には既にお鍋の準備がされており、後はお鍋型のオシャレな調理家電の電源を入れれば良いだけのようだ。
「じゃぁ私、ちょっと飲み物取ってくるから待ってて。さやかはご飯前だし麦茶ね。神成くんも麦茶でいいかな?」
横でさやかちゃんがオレンジジュースを熱望しているけど、貴宝院さんに「ご飯前はダ~メ」と言われて、撃沈していた。
「あぁ、僕も麦茶貰えると嬉しい」
「わかった。じゃぁ、ちょっとさやかの相手お願いね」
そして、リビングの奥に見えたキッチンの方へと歩いて行った。
「ねぇねぇ、しんじょう」
「ん? さやかちゃん、どうしたの?」
「スマホ充電しなくて良いの?」
うっ……さやかちゃんが、僕よりしっかりしている件について。
「わ、忘れてた……ちょっとコンセント貸して貰えるかな?」
「いいよ~。そこの柱のとこにあるけど、ちゃんと返してね!」
ギャグで言っているのか、本気で言っているのか、その言葉に苦笑いで「うん。あとで返すね」と、とりあえず答えておく。
しかし、コンセントの前まで来て、電池の切れたスマホを取り出す所までは良かったのだが、
「あ……充電用のケーブル持ってないや……」
そこでようやく、充電用のケーブルを持っていない事に気付いた。
「神成くん、オレンジのスマホでしょ? 私も同じだからこれ使って」
そこへ麦茶をお盆に載せて戻ってきた貴宝院さんが、麦茶をテーブルに置くと、もう一度部屋を出てケーブルを持ってきてくれた。
「貴宝院さん、ありがとう。なんか、何から何までごめんね」
ケーブルを受け取り礼を言うと、
「貴宝院じゃないよ!」
と、すかさず鬼教官からの指導が入るのだった。
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