風が鳴く

5/6
5人が本棚に入れています
本棚に追加
/6ページ
 ソファから体を起こせば、飲んでいない麻理の麦茶だけが残っている。結露がテーブルを濡らしている。忘れ物なんて1つもない、あるのはただ麻理の残り香だけ。キョロキョロと見回せば、ただ綺麗に片付いた部屋だけが目に入った。  横目でチカチカと光る携帯が目に入る。液晶に出ていたのは、懐かしい同級生の名前だった。 「……もしもし」 『あ、もしもし? 健? お前またお盆帰ってこねーの?』 「……ちょっと忙しくて」 『お前去年もそう言って……』 「仕事なんだよ」 『仕事仕事って……』  しょうがないだろ、とぶっきらぼうにいうと、電話の向こうの同級生はすこし怒り気味に言った。ため息を吐いてソファに座ると、伏せてある写真立てが目に入る。そうだ、まだ直してなかった、とテーブルの上の倒れた写真立てを直すと、そこには満面の笑みの麻理と俺がいる。何気ない、日常の一枚だった。 『麻理ちゃんの墓参り、しなくていいのかよ』  もう撮れない、一枚でもある。  シンと、少しの沈黙の間、電話の向こうでセミがけたたましく鳴いていた。窓から生ぬるい影が吹いて風鈴を揺らす。全く声を発さない俺に、まずいことを聞いたと思ったのか、慌てたような声で友達は話し始めた。 『……ごめん。仕事忙しいんだろうけど、たまには帰ってこいよ』 「……ありがとう」  部屋に風鈴の音が響く。夜の黒と月の白を透かしたガラスは、とても綺麗だった。  麻理は、5年前、交通事故で居なくなった。  麻理がいなくなってはじめての盆。麻理が死んだことを認めたくなくて、墓参りにはいかなかった。だって、昨日まで隣で笑っていたのだから。  そんな中、ドアを開けると麻理がいた。どうしたの、そんなに泣きはらした目して、と笑っていた。……いつも通りの笑顔だった。俺が驚いたのは、いうまでもない。何度も頬を叩いて、つねって、夢ではないかと確認した。泣いて、泣いて、嬉しくて、幸せで。一生離すものと抱きしめて寝たが、朝にはいなくなっていた。2度、麻理を失った気分だった。  それから、毎年麻理はお盆に会いに来てくれる。去っていく絶望、現実ではないのだという虚無さえ我慢できるほど、会えること奇跡だった。……会えるだけで、幸せだった。幸せだと思っていたい。
/6ページ

最初のコメントを投稿しよう!