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亨がいつも何か考え込んでいるようになったのは、いつからだったろう。何でも話し合える仲だと思っていたのに、事故に遭う少し前から、亨の様子がおかしかった。
ある土曜日、今野は亨を自分の部屋に呼んだ。だが亨は途中で車にはねられ、重体となった。面会謝絶が何日も続き、そこにいても何もすることができない歯痒さに今野はやるせなかった。気が狂いそうなほどに亨を思ったが、なぜか、決して彼が死ぬことはない、と今野は感じていた。それは確信ともいえるもので、揺るぎないものだった。だからこうして遠く離れた島根へとやってこられたのだ。毎日、亨の両親への連絡は欠かさずにいる。亨は相変わらず昏睡状態だ。だが、もう一度、必ず亨に会える。今野はそう信じて疑わなかった。
夢を見た。見慣れた亨の背が見える。辺りは暗く、どこにいるのかもわからない。今野は声をかけた。
――亨。俺たち、どこにいるんだ?
――柊一。どうして、ここにいるんだよ。
――一緒に、帰ろう。
――……帰れないよ。もう帰れない。
――どうして?
――早く帰って。ここに、いないで。
亨が、ゆっくりとこちらを振り向いた。初めて見る、彼の涙。驚きで何も言えなかった。そして、目が覚めた。
「今野さん」
「あ……」
一瞬、意識が混乱して、今野はまた葵の細い手首をつかんでしまった。だが昨夜のように逃げられたりはしなかった。静かに今野を見下ろしている。
「何度も、その人の名前を呼んでいた」
葵は、袖を伸ばして目尻を拭った。その時、今野は自分が泣いていたのだ、と気付いた。
「すみません」
「私は、そんなにあなたのお知り合いに似ていますか」
「え」
視線がゆっくりと合う。今野は頷いた。
「生き写し、ですよ」
「そうですか」
葵は何でもないことのように言った。そういえば今日はまだ連絡をしていない。今野は枕元に置かれた荷物の中から、携帯電話を取り出す。
「すみません、急ぎの電話を思い出して」
葵は俯き加減になる。
「ここでは、携帯電話は使えないんですよ」
「そうですか、では電話を貸してもらえませんか」
葵はすまなそうに、首を振った。
「すみません。電話は、ないんです」
「どうしても連絡をしないと」
「案内が難しいので私が掛けてきます」
言い切られる。頼む他ないようだ。言葉を選んで伝える。
「亨さんの、容体を。承知しました。すぐに行ってきます」
「ありがとう」
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