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「亨」
「お願い……苦しい……」
「だめだ」
「こんな……もう戻れない」
「戻れないよ、でも、一緒に歩いていくことは、できるだろう?」
白い喉に唇を這わせると、葵は全身を震わせた。冷たく見えた肌が、今は熱を帯びていた。
亨に、好きだと告白されていたら。その時、すぐに応えることができただろうか。亨が死を望んで、そして初めて、彼への想いを自覚できた。今野は、説明のできないこの曖昧な時間に深く感謝した。ここで、葵に出会わなければ、亨は死んでしまったような気がするからだ。運命というものがあるのだとしたら、それが二人を結びつけるように味方したのだ、と思いたい。何より二人は互いを必要としている。その強い想いが、もしかしたら、この不可思議な空間を作り上げたのかもしれない。
「あっ」
肩から着物をなで落とし、今野は鎖骨へと唇を移した。
「亨、死ぬな。俺が、どんなことをしたって、おまえを連れ戻す」
葵は首を振った。溢れ出た涙が頬へと伝う。堪えるように伸びた指が枕を握りしめた。
「あなたがそんな、こと、言うはずがない」
「亨」
「愛してくれなくていい。……あなたの手で、私を堕としてくれればいい」
亨の中に深く根ざした絶望は、簡単には断ち切れない。だが今野は、亨をどんなことをしても放したくなかった。それだけが真実なのだから。どんなに亨のことを考えたかしれない。亨が今野を想うように、今野も、考えて、考え尽くした。だが、ある時、ふと、答えは胸の中に、ひっそりと息づいていることを知った。ひとつひとつヴェールを剥がすように、自身の将来や、世間体や、さまざまな障害を振り払って、純粋に残ったものは亨を愛しいと思う気持ちだったのだ。伝えたい。唇から、言葉から、全身から、心から。亨が、自身を、今野に愛されている自分を認めることができるように。
「放さない。おまえも離れたくないなら、俺の腕に縋りつけ」
「いや……」
枕を握りしめた指が、更に白く目に眩しかった。ひたすら愛しながら、その今野の障害と思う自身を頑に認めようとしない亨の生真面目さが、愛しかった。亨の身体が、今野を熱く受け入れながら、激しく震えた。
「放して……!」
「放さない」
「あなたを、苦しめたくない……」
「亨」
激しい動きにつられて、葵は苦しげに喘ぎ、言葉をつまらせた。
「一緒に、生きていこう」
指が、耐えきれないように、今野の腕に掛かる。少しずつ、力がこもっていく。
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