裏月 グリソム・ホワイト

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裏月 グリソム・ホワイト

 私はマルイの地下の楽器店にある練習スタジオの重い扉を開けた。扉を開けた瞬間、縦横無尽に走り回るドラム音が私の耳に突き刺さる。スタジオ内は空調が効いているはずなのに大志もジュンも汗をびっしょりかいていた。私が到着する前からずいぶんと練習をしていたようだ。 「こんにちは」  私が少し声のトーンを抑えて呟くと大志とジュンは演奏を止めた。 「おぉ、いらっしゃい! 来てくれてサンキュー」  大志は首に掛けたタオルで額の汗を拭いながらそう言った。 「こんにちは……」  ジュンはベースを持ったまま私に軽く会釈をする。  今思い返すと、この頃の大志たちは今よりもヤンチャだった気がする。大志はまだ高校生っぽさを残していたし、ジュンも今より幼い顔をしていた。もっとも私も一六歳だったからみんな幼かったんだと思うけど。  私は大志に導かれるまま、スタジオ内にあるパイプ椅子に座った。大志はドラムの前に座ったまま話し始めた。 「えっと、京極さん! 改めて自己紹介するよ。俺は松田大志、常盤大学の一年……、いやもうすぐ二年になる! ドラム歴は三年ってとこだね。で! こいつが俺の幼なじみでベースの高木純だ」  そう言って大志はジュンの方を指差した。 「どうも、初めまして。高木純です。茨城大学の二年生で、ベース歴は七年くらいです……」  ジュンはそれだけ言うと壁に寄りかかった。歓迎されている雰囲気じゃないね、となんとなくそう思った。彼は穏やかそうにニコニコしていたけど、その穏やかな笑顔の裏側には妙な空気があった。それが何なのかは一年以上経った今でもわからないけど。 「私は京極(キョウゴク)裏月(ヘカテー)です! 高校は一か月前に辞めました。今はバイトしながら一人暮らし中です! ギター歴は四年くらいです。中一の時にアフロディーテのケンジさんに憧れてギターを始めました」  私は簡単に自分のギター歴と学歴について話した。 「変わった名前だな。日本人じゃないみたいだ」  大志は私の名前を聞いて感心するようにそう言った。 「これは私の母さんが付けてくれた名前なんだ。私と双子の妹は月の入った名前でね。漢字で書くと『裏』側の『ウラ』に、夜空の『月』の『ツキ』って書くから、みんなには『ウラ』って呼ばれてる」  この名前の説明する手間にはもうんざりしていたけど、これから一緒にバンド組むかもしれない相手には伝えておこうと思った。名前自体は気に入っているしね。大志は感心するように、ジュンは興味なさそうにしていたっけ。 「なるほどなー。それはそうと京極さん、ケンジさんに憧れてたからアフロディーテの曲弾いてたんだね! しかもインディーズの頃の曲だったから驚いたよ。京極さんくらいの歳の子が知ってるようなメジャーな曲じゃないからさ」 「大志さ? 京極さん何の曲弾いてたの?」  ジュンは声のトーンを変えずに大志に聞いた。 「ああ、デザイアだよ。俺もあの曲は好きなんだよなー! でも難しいからあんまり得意じゃないけどさ」 「ふーん」  ジュンはまるで興味がないような返事をした。  会話をしつつ、ギターケースからSGを取り出した。アンプを繋ぎチューニングを行う。昨日、念入りにメンテナンスしたお陰でチューニングはほとんど狂っていなかった。 「京極さん」  ジュンに呼ばれて私は振り返る。彼はフェンダーのジャズベースのストラップを首から掛けると私の方を向いた。 「はい! なんですか?」 「デザイアできるんだったね? 今からそれでセッションしてみようか?」  ジュンはジャズベースのコントロールノブを調整しながらそう言った。 「あのよー純。さっき俺、苦手だって言わなかったか?」  大志はジュンに恨めしそうに言った。 「デザイアくらいは簡単に叩いてもらえないようじゃ困るよ大志。こんな若い子でも弾けるんだからさ。ねえ京極さん?」  ジュンはそう言うと私の方に笑いかけた。彼の笑顔はとても爽やかで、綺麗な顔も手伝ってかなりカッコ良く見えた。でも私は彼の笑顔に背筋の凍るものを感じた。まるで蛇ににらまれた蛙のような気持ちだった。 「ええ、大丈夫ですけど……。じゃあやりましょうか」 「ああ、その前に。せっかく女の子だしさ! Tukikoさんのヴォーカルも一緒にやってみてくれないかな?」  ジュンはサラッとそう言うと、ジャズベースの弦を押さえた。 「お、おい純!? お前いきなりそれは……」 「大志さー。どっちにしろメンバーに入ってもらうならヴォーカルはお願いしなきゃなんないんだよ? 女子のクリーンヴォーカルほしいってお前も言ってたじゃん?」 「そりゃそうだけどさー。今日初対面でいきなりはねーだろ!?」  そのとき私はジュンに対して何らかの敵意のようなモノを覚えていた。強引っていうのとはまた違う。身体にまとわりつくような妙な空気感。私を息苦しくさせる。 「あの! 私歌いますよ! 高木さんの言う通り、ヴォーカルぐらいできないようじゃ一緒にやってけないと思うし!」  私は啖呵を切るようにそう言うとSGを軽く撫でた。お願いだよSG、力を貸して。 「いいね! 嫌がらずにやるって言ってもらえて嬉しいよ! あんまり女子っぽいと困るからねー」  ジュンはそう言って今度は思いっきり笑った。 「しゃーねーなー! じゃあ俺から行かせてもらうぞ! 京極さん準備いいか?」  大志は私を気遣ってくれているようだ。一見ぶっきらぼうに見える大志の方がジュンより何倍も本当は優しい。というよりジュンは欠片も優しくない。優しそうに見せるのがうまいだけだ。 「いいよ! 始めて!」  私の返事を聞くと大志はスティックを指先で回してからドラムを叩き始めた。デザイアのイントロはドラムから始まる。  走り気味の大志のドラムがスタジオ内に鳴り響いた。私は彼のリズムにあせてSGのギターソロのパートを弾き始める。大志のドラムのリズムは心地よかった。はっきりいえば彼のドラムの腕はそこまでうまいわけではない。でも彼のドラムには温かさと激しさがあった。それに対してジュンのベースは対照的だ。非常に金属的で温かみが無く、氷のような印象を受けた。でもジュンのベースの腕は相当なものだ。大志がアマチュア中級だとすれば、ジュンのレベルはプロ級だ。  この二人のリズム隊の歯車は、不思議と噛み合う。温かさと冷たさの同居がなぜか成立している。私は安心してメロディに専念させてもらえた。相棒のSGもすこぶる調子がいい。そして何より、ギターを弾きながら歌うのは最高に気持ちがよかった。これはジュンから私へ試験。いわば入試問題のはずだったのに、私は最初から自分の思うままに演奏していた。大志もジュンも汗をかきながら笑っている。楽しい。本当に楽しい。こいつらとなら一緒にやっていってもいいかもしれない。  デザイアの演奏が終わった。大志は息を切らしている。ジュンは一見涼しそうな顔をしているけど、息はあがっていた。私も人のことは言えないけどね。  はぁ、はぁ、と肩で息をしながら大志が叫ぶ。 「あっちー。純、お前さぁ……。急に無理言い過ぎだぞ!?」 「ハハハ! たまにはいいんじゃないの? 最近マンネリしてたしさ。京極さん、どうだった? 俺たちの演奏」  ジュンはミネラルウォーターのキャップを開けながらそう言った。 「あっちーよ! 松田さんも高木さんもノリよすぎだしさー。急だったから焦ったわ……。でも、二人ともすごくいいね! 一緒に演奏してみてすんごい楽しかった!」 「そうだな。京極さんのギターも相当ノリがよかったぞ! あんなに楽しそうに弾かれたら俺だって全力出すしかねーじゃん」  大志は嬉しそうにそう言うと大きなため息をついた。 「大志珍しいじゃん? お前いつもドラム間違えるのに今回は完璧だったよ。やればできるんだからもっと練習しなきゃね。京極さんのギター悪くないね。丁寧な弾き方だけど、ちゃんと勘所もわかってるしさ」 「ありがとう……。そう言ってもらえて嬉しいよ。自分なりに毎日練習してるからさ」  私は二人に褒めてもらえて嬉しかった。最初、取っ付きづらいと思ったジュンも音楽の話になるといい感じだ。 「それとさ! 京極さん、ヴォーカルもいけんじゃねーか!? なぁ純?」 「そうだね! ヴォーカルも悪くない。京極さんの声って可愛らしいと思ったけど、歌うとまた違うね。歌い方はTukikoさんに似てる気がするけどね」 「そう! そうだよ! Tukikoっぽかった」  大志は興奮気味にそう言った。 「そりゃそうでしょ? だってこれアフロディーテの曲だよ」  アフロディーテは女性ヴォーカル。彼女の歌声はスピードとノリが命で、ジェットコースターに乗っているような激しいものだった。大好きだし尊敬しているし、私の歌の教科書でもある。 「そうなんだけどさ。京極さんの声でその歌い方するとまた違った雰囲気なんだよねー。Tukikoさんほど強くはないけど、そのかわり柔らかいんだよ」 「そうそう! 京極さんの歌声って激しいんだけど柔らかいんだよなー! だから聴きやすいんだよ」  私はなぜか二人にベタ褒めされていた。嬉しい反面、お世辞じゃないのか? と疑ってしまう。  そのあと、私たちは五曲ほどセッションした。どの曲も私を気持ちよくさせてくれた。大志とジュンもヘトヘトになりながらも楽しそうだった。 「よっしゃ! 今日はここまでだな」  大志はそう言うとスティックをクロスで拭う。 「そうだねー。京極さん今日はありがとう」  ジュンもベースのストラップを首から外した。 「松田さん、今日は誘ってくれてありがとう。私も楽しかったよ」  私は大志にお礼を言った。 「いやいや、こっちこそありがとうなー。久し振りに思いっきりやれてよかったよ」 「京極さん。俺らとバンド組もうよ」  ジュンがサラッと言う。視線を向けると、軽い言葉ではないことがわかった。真剣な顔でジュンはこっちを見ていた。 「そうだねー。やりたいけどさ! 私なんかでいいの? 高校中退だし、ヤンキーだし、自己中だよ? それでも一緒にバンド組みたい?」  私は自虐的な台詞を吐いた。なにせ自分は問題児だ。ここは遠慮してみせるのが礼儀だと思う。全て本当のことだ。 「京極さん! 俺からも頼むよ! 一緒にやろう。できる限りのことはするからさ」  大志も私のことをバンドに入れたいようだった。 「んー、そうだねー。じゃあさ、二つ条件飲んでくれたら一緒にやるよ! それでどう?」  私は大志とジュンに二つの条件を突きつけて、その条件を半ば強引に承諾させた。それが私と大志、ジュンの三人が初めて揃った日、バンドの結成記念日の話だ。  私たち四人は水戸駅の南口のベンチに座っていた。里奈と健次郎さんは私の話を所々相槌を打ちながら聞いてくれた。 「なんか青春だね! それでバンドやることになったんだー。いーなー」  里奈は少しうらやましそうにそう言った。 「まぁそれから紆余曲折あったんだけどね……。大志は時間にルーズだし、ジュンは演奏以外は非協力的だったしさ。それに私はこんなだからさ」 「そうだよなー。俺らっていつも何かしら問題抱えてる気がするよ。それでもやっていけてんだからいいけど」  大志は苦笑いした。 「ところでウラさん? バンドに入るための条件って何だったんですか?」  健次郎さんに聞かれて私は思わず笑ってしまった。あの時は真剣だったけど、今思うと恥ずかしい。 「ああ、条件ね! 大志さぁ? まさか忘れてないよね?」  私は大志に少し皮肉っぽい言い方をした。 「ああ、あれか。こいつから出された条件は二つあってさ。一つはウラがバンド名を決めるって言うこと、これはすぐに決まった」 「よくできました! 憧れてたアフロディーテは、ビーナスとも言うからさ! ビーナスの誕生って意味のバンドにしたんだー。で、もう一つは?」  私が聞くと大志は少しためらった。確かに恥ずかしいだろう。 「ああ、ちゃんと覚えてるよ。でもここで言うことか?」  大志は言いたくなさそうだった。 「えー、大志さん教えてくださいよー!」  里奈は大志から聞き出そうとしている。 「あー、もう! 俺たち三人で五年以内にメジャーデビューするって言ったんだよ! ウラはあの頃から言い出したら聞かねーからさ」  大志は言った後、少し恥ずかしそうにした。可愛いところあるじゃん。 「すごいじゃないですか! 夢があるのっていいですね!」  健次郎さんに真面目に言われて大志は余計照れていた。 「へへー。そうでしょ! 大志はあの時に、『俺がお前をメジャーデビューさせてやるから!』って力強く言ってくれたんだよー」 「バっ、馬鹿! お前恥ずかしいこと言うな!」  珍しく大志が慌てている。黒歴史なのか?  そのあと、里奈と健次郎さんとは駅南で別れ、彼らの後ろ姿を見送った。二人と別れた後、私は大志に聞いてみた。 「ねえ大志? 今でもあの時の約束、守る気でいる? これから大志もジュンも就活だし、実際は難しいよね?」  私は穏やかに告げた。これは、質問じゃない。責める言葉でもない。そうではなくて、私の今の気持ちを込めた言葉だ。  大志は私に視線を向けなかった。空を見上げながら、一言だけ。 「約束は守るよ」  そんな、綺麗な言葉をもらった。それはまがい物じゃない、本物だった。夢は叶わないかもしれない。でもこの言葉は嘘じゃない。そう思えた。大志の優しさを感じた。そして感謝の気持ちだけが心に残る。  私は、この人に一体何をしてあげられるんだろう?  祭りの余韻が残る水戸駅で考える。それは、夢見る年じゃなくなった私の、叶えたい願いの一つだった。
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