裏月 メンデル・リュードベリ

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裏月 メンデル・リュードベリ

「大志! 今日は付き合ってくれてありがとうね」  私は大志の車で送られてシェアハウスまで帰ってきた。 「ああ、いいよ! 俺もけっこう楽しかったし! ウラ忘れ物ないか?」 「うん! 大丈夫ー。じゃあまた今度、対バンの予定の話しよーね! ジュンくんの予定と合う日なら私が調整すっからさ!」  私は大志にお礼を言って車から降りた。シェアハウスの扉を開けて入ると共用スペースのソファーに見知らぬ女の子がちょこんと座っていた。その女の子はスマホを両手で持ってゲームでもしているようだ。 「あぁ、おかえりなさい」  湯野さんが管理人室のガラス戸を開けて私を出迎えてくれた。 「ただいまー。湯野さん、あの子誰ー? 湯野さんの隠し子?」 「ハハハハ、そうだったら面白いね! あの子が新しい入居者だよ。京極さんのお隣さんだ」 「え? だってあの子まだ中坊くらいじゃないの!?」 「うん。中学生だってさ! まぁあの子とあの子のお兄さん二人で部屋を借りたいんだとさ」 「ふーん、また事情ありそうな感じ……?」 「京極さん……。今更だけどウチのシェアハウスには事情がない人は住まないよ」  確かに、と私は思った。私も含め、このシェアハウスを借りている人間はみんなわけありだ。家出したとか、嫁に追い出されたとか、夢に破れたとかそんな感じの人ばっかりな気がする。 「とりあえず紹介するから京極さんこっち来なさい」  私は湯野さんに連れられてその女の子の前まで歩み寄った。私たちが近づくとスマホから顔を上げる。思ったより幼い感じで、前髪が長く顔がよく見えなかった。 「茜ちゃん、この人が例のバンドマンのお姉さんだよ」  湯野さんに言われて私は自己紹介した。 「初めまして! 京極です。お隣さんになるみたいだからこれからよろしくね!」 「……」  女の子は私の顔を見てショックを受けたように見えた。口をパクパクして何かを訴えてくる。 「んー? 何? どうしたの?」  私はその女の子に聞いてみたけど、彼女は何も言わなかった。 「あー、ごめんね京極さん! この子は口がきけないんだ! よくわからないけど、小さい頃からそうなんだってさ。耳は問題ないらしいけどね」  湯野さんに説明されて初めて、この子の行動の意味が理解できた。口がきけないんじゃ、いくら話しても返事がないわけだ。 「あー、そうなのね。じゃあ、湯野さん代わりにこの子の名前教えて」 「この子は咲冬茜ちゃんだよ。歳は一四歳」  湯野さんからそれを聞くと私は茜ちゃんに改めて声をかけた。 「初めまして茜ちゃん! 困ったことあったら言って……。いや、紙にでも書いてね! できることはしてあげるから!」  それを聞くと茜ちゃんはモノを書くようなジェスチャーをした。 「ああ、紙とペンね」  湯野さんは事務所に行くと、メモ帳とボールペンを持ってきて茜ちゃんに手渡した。茜ちゃんはメモ帳に大きめな字で何かを書いている。 「なになに? どうしたのー? そんなに慌てて」  私はメモを覗き込むとギョッとしてしまった。 『ルナちゃん?』  とメモには書かれてる。 「え? 茜ちゃん、ルナのこと知ってるの?」  私のその言葉を聞くと茜ちゃんは不思議そうな顔をして首を傾けた。理由はわからないけど、この子は私の妹と知り合いらしい。 「ルナはね! 私の双子の妹なんだ。今は事情があって一緒に暮らしてないけどね。顔が似てるから間違えたんだね」  茜ちゃんは少し考えたようだけど、すぐにメモに文字を書き始めた。 『そうだったんですね! 初めまして! あたしの名前は咲冬茜です。ルナちゃんにはこっち来たときに助けてもらったんです。ルナちゃんお姉さんいるなんて言ってなかったからビックリしました』 「そっかー。あの子に助けてもらったのか……」  不思議な縁もあるものだ。 『うん! 具合悪くなったときに面倒見てもらったの』 「あの子らしいなー。そうゆうところは変わんないんだなー」  私と茜ちゃんは声とボールペンで会話した。彼女はこのやり取りに慣れているらしく、表情とジェスチャーも交えながら私と筆談してくれた。 「京極さん、この子のお兄ちゃんは今出かけてるんだ! 仕事探しに行くとか言ってたね。もし時間あるなら茜ちゃんの面倒見てあげてくれないかな?」  湯野さんはそう言ってタバコを口にくわえた。火は点けていない。 「うん、いいっすよ! 私も同年代の女の子が近くにいると楽しいし、どうやら私の身内とも縁があるらしいからね……」  私はそう言うと茜ちゃんの隣のソファーに座った。  私は茜ちゃんからLINEを教えてもらい、それで会話することにした。私は普通に口で話し、茜ちゃんは私にLINEのトークで返す。 『お姉ちゃん名前はなんて言うの?』 「あー、私の名前はへカテーだよ。漢字で書くと裏側の『裏』に夜空の月の『月』、だからみんなからは『ウラ』って呼ばれてる」 『へー、珍しいねー! じゃあウラ姉さんって呼ばせてもらうね!』 「うん、それでOKだよ! 私が言えた義理じゃないけど、茜ちゃんの名字も変わってるよねー。咲冬って名字の人、初めて会ったよ」 『あたしの親戚はこの名字の人多いんだよー。あたしんちの本家が神社の神主さんやってて、そこの神社が咲冬神社って言うんだ! それから私の親戚はその名字をみんなで使うようになったんだってさ! あたしも自分たち以外でこの名字の人に会ったことないねー』 「ふーん、なんか由緒ある感じなんだねー。お兄さんは仕事探してるって言ったけど、どんな感じの人なの? ほら、一応お隣さんだしさぁ。聞いておきたくてね」 『お兄ちゃんはねー。ちょっと怖いかなぁー、本当は優しいんだけど顔が恐いからねー。あ、お兄ちゃんに会ったときにそんな風に言わないでね。あたし怒られちゃうから(笑)』 「怖いんだ……。じゃあ気を引き締めて!」  私と茜ちゃんは取り留めもなく会話をした。口がきけないからこそ彼女の表情は豊かで、とても可愛らしく見えた。幼さも手伝って彼女に愛着を覚える。  彼女の兄に初めて会ったのはその翌日だった。私が共同の洗面所で顔を洗っていると、タンクトップにハーフパンツ姿の筋肉質な男が私の横の洗面台の椅子に座った。ヤンキーな私と同じ雰囲気を持っていて、茜ちゃんの兄貴だと、見た瞬間にわかった。 「おはようございます」  私は少し声のトーンを抑えて彼に挨拶した。 「おはよーす」  彼は眠そうに私に挨拶する。 「お兄さんさぁ、昨日から入居した咲冬さんでしょ? 初めまして! 隣の部屋の京極です」 「ああ、大家さんが言ってた……。よろしく……。ん? 京極?」  彼は私の方を向いて、驚いた表情をした。やはりルナと見間違えたのだろう。 「茜ちゃんから話聞いてないんですか?」 「え? 茜から? つーかルナちゃんどうしてここに? 髪型変えた?」  やはり聞いていないらしい。 「はぁ……。また自己紹介からか……。昨日の夜、妹ちゃんには挨拶したんですよ! 私は京極裏月、お兄さんたちはルナと面識あるって聞いてます。ルナは私の双子の妹なんだ」 「は? ルナちゃんのお姉さん? お姉さんいるなんてルナちゃん言ってなかったけどなぁ……」  私はやはりルナから嫌われているらしい。茜ちゃんもこの人もルナと割と話をしている様子だけど、私の話は出なかったようだ。 「とにかく! 私はルナとは別人ですから! まぁ、これからお隣さんになるわけだし仲良くやっていきましょ!」  私はそう言ったけど彼はどこか納得できていない様子だった。 「ああ、よろしくお願いします。俺は咲冬菊丸、このシェアハウスにしばらく世話になるつもりだからよろしく! そっか……。ルナちゃんのねぇ……」  そういうと菊丸さんは私の姿をまじまじと見た。 「なんすか? 何か気になります?」  私は少し怪訝な声で彼に聞いた。 「いやー、見た目がさぁ。ルナちゃんと顔は似てるのに雰囲気とか全然違うからすごく違和感が……」 「あの子と比べたらそうだろうねー。あの子は優等生で真面目だからねー。ほらさぁ、私は見た感じでわかるだろうけどヤンキーだからさ!」 「ふーん……。双子でもこんなに違うんだなぁ。まぁいいや、茜ともども世話になるからよろしくな! あと、俺らの部屋掃除してくれたんだって? ありがとう!」 「気にしないでいいよ! 湯野さんにはいっつも世話になってるから勝手にやってただけだし! そうだ! 菊丸さんよかったら一緒に朝飯どーよ? 焼き魚とみそ汁くらいは作れるけど!」 「マジで!? 助かるよー。食事のこと全然考えてなかったからさー」 「これからここで暮らすなら自炊はある程度考えながらやったほうがいいよ? まぁ今日は私が作ってあげるよ! 茜ちゃんも一緒に食べよー!」  それから菊丸さんは茜ちゃんを起こしに行った。私は台所に行って朝食の準備をする。三人分みそ汁を作り、冷蔵庫からシシャモのパックを取り出してガスコンロで焼いた。たまに同じシェアハウスの住人に料理を作ってお裾分けしているから段取りは慣れている。  私が料理をしていると、菊丸さんと茜ちゃんが台所にやってきた。茜ちゃんは眠そうに目をこすっている。 「おはよう茜ちゃん!」  私がそう言うと茜ちゃんはペコリと頭を下げる。 「悪いなー。なんか手伝えることねーか?」 「もうすぐ準備終わるからとりあえず料理を運んでもらえる? 私の部屋のテーブル小さいけど、三人くらいなら食えるっしょ!」  ご飯とみそ汁とシシャモを食器に盛りつけると、菊丸さんが私の部屋に朝食を運んだ。 「お邪魔しまーす! うわ! かっけーSGあるな!」 「でしょー! 私のお気に入りの相棒なんだよねー。間違っても倒さないでね! 倒したらシバくから!」 「あのよー、へカテーちゃん! もう少し言葉遣いどうにかしたらどうだ?」 「は? しゃーねーじゃん? 私昔からこんなだしさ! てか、『ヘカテーちゃん』て呼ばないでほしいかなー。なんか慣れないし、そう呼ばれると気持ち悪い……」 「じゃあなんて呼べばいいんだよ!? お前の名前『ヘカテー』なんだろ?」  私はいきなり『お前』呼ばわりされて少しムッとした。 「私のことはみんな『ウラ』って呼んでるよ! それ以外だと普通に『京極』って呼ばれるかなー? まぁ好きな方で呼べばいいよ」 「じゃあ、『ウラ』って呼ぶよ。それでよー、ウラ! 言葉遣いは大事だと思うぞ! せっかく可愛らしい顔してるのにすげーもったいない感じがする」  私は褒められてるのか貶されてるのかわからず、返す言葉が見つからなかった。私と菊丸さんのやり取りを見ていて茜ちゃんは少し困った顔をしている。 「とりあえず、飯にしよう! 飯!」  私は二人に朝食を食べるように促した。  私たち三人はテーブルを囲んで食事した。食事のときに菊丸さんに味がどうだとか、焼き加減がどうだとか口うるさいことを言われた。なんかこの男は突っかかるな? 茜ちゃんはただ美味しそうに食べてくれた。同じ兄妹なのになんでこんなにも性格が違うんだろう……。私んちも同じだから人のことは言えないけどね。  その日から奇妙な共同生活が始まった。昼間、菊丸さんは土木関係の仕事に出かけてしまうので、私がバイトの合間に茜ちゃんの面倒を見た。面倒を見たって言っても例のおしゃべりをするだけなんだけどね。朝と夕方は菊丸さんもいるから一緒にご飯を食べた。日雇いの給料から一〇〇〇円を渡されて、毎日食事の用意をする。まるで夫婦のような生活になってしまった。菊丸さんは私の料理について、毎日のように文句を言う。その度、反論もしたし、時には飯を取り上げることもあった。  大志から連絡が来たのは、そんな家族もどきの生活に慣れ始めた頃だった。季節も夏の終わりが近づき、蝉の声もだんだんに小さくなっていた。 『お疲れ! ウラさー、今日の夕方にファミレスで打ち合わせできねーか?』  大志は電話越しにそう言った。 「いーよー! 私もバイト今日は早番だからいくー! ジュン君も来れるんでしょ?」 『ああ、純も今日は来れるってよ! じゃあ六時に大学前のガストに集合な!』  こうして、久し振りにバンドメンバー全員で集まることになった。まぁメンバー全員っていっても三人しかいないけど。  私はピザ屋でのバイトを終わらせると速攻でシェアハウスに戻った。戻ると、茜ちゃんが共用スペースでちょこんとしている。 「ただいまー! 茜ちゃん何してんの?」  私が茜ちゃんに聞くと彼女は嬉しそうにスマホの画面を見せてきた。  そのスマホの画面にはルナが茉奈美たちと楽しそうに花火をしている画像が表示されている。 「へー、ルナとLINEしてるんだねー! あの子も元気そうだなぁー」 『ねー、ウラ姉さん! ルナちゃんにウラ姉さんのこと話していい?』  茜ちゃんは私にLINEを送ってきた。 「んー……。止めといた方がいいと思うよ? 私とルナは犬猿の仲だからさー。茜ちゃんも面倒なことに巻き込まれちゃいそうだし、私と一緒にいることは内緒にしておいてほしいかな」 『そっかー、ウラ姉さんもルナちゃんもいい人なのになんで仲直りしないの?』 「色々と難しいことがあるんだよ。そりゃー私だって妹とは仲直りしたいよ? でも、もう少し時間が掛かるかなー」  私がそう言うと茜ちゃんは残念そうな顔をした。  大志たちとの約束までまだ少し時間があったので、私は茜ちゃんと一緒にギターの練習をした。曲を弾くと茜ちゃんは目をキラキラさせて私のSGを見つめてくる。 「茜ちゃん、ギター弾いてみる?」  私がそう言うと彼女は首を縦に何回も振った。どうやらやりたいらしい。  茜ちゃんにSGを渡すと彼女は嬉しそうにピックで弦を弾いた。 「じゃあまずは! ドレミファソラシドからやってみようか?」  私はどこの弦を押さえて、どこを弾くのかを手取り足取り説明しながら音階の弾き方について教えた。 「そうそう! そんな感じだね。茜ちゃん飲み込み早いじゃん! もっと弾けるようになったら、ウチらのバンドに加入してもらおうかなー」  茜ちゃんは音階と簡単なコードを一時間程度である程度把握したようだ。私より賢い。教え込めば割と早く弾けるようになるんじゃないかと思う。  そんなことをしているうちに大志たちとの待ち合わせ時間が迫ってきた。私は茜ちゃんに「出かけるからね」と言って準備を始める。 『ウラ姉さん! ギター楽しいね! あたしこんなに楽しいと思わなかったよ』 「楽しいでしょー! 私もこれしか取り柄ないけど、ギターは大好きなんだよねー。でもさ、一人でやるよりバンド組んで演奏する方が何倍も楽しいんだよー。これからバンドメンバー集まって打ち合わせするから近いうちまた演奏できると思うよ」 『いーなー、ウラ姉さんと一緒に演奏してる人ってどんな人なのか気になるー』 「ああ、あいつらは気のいい奴らだよ! 大志はぶっきらぼうだけど包容力あるし、ジュンはクールだけど演奏に関しては熱い思いを持ってるからねー。なんだかんだ私は今のバンドが好きなんだよね」  それを聞いた茜ちゃんは興味津々という感じの表情になった。この子も音楽が好きなんだろう。 「そうだ! よかったら茜ちゃんも今からやる打ち合わせ一緒に行く? メンバー紹介するよ!」 『ほんと!? 嬉しい! やったー』  茜ちゃんはテンションがあがったのか簡単な文章をLINEで送ると歯を剥き出して笑った。  それから私は、茜ちゃんを連れて行っていいか大志に電話してみた。 「もしもし? 大志? お疲れさまー。今日は六時までにガストいくね!」 『おう、俺もゼミ終わったから今から向かうよ!』 「それでさー、大志。一人連れて行きたい子がいるんだけどいい?」 『連れていきたい子って?』 「ウチのシェアハウスの新しいお隣さんなんだけどね。中学生の女の子でバンドに興味あるみたいだから、連れていってあげたいんだー」 『んー? まぁいいか。じゃあ連れてこいよ! 迎え行くか?』 「大志くんは気が利くなー。そうしてもらえると大変ありがたいです」 『ああ、大丈夫だよ……。なあウラ、実はちょっと困ったことになったんだ』  大志は言いにくそうに言うとため息をついた。 「なぁに? まさかまた惚れた女にフラれたの?」  私は茶化すような言い方をした。 『いやな……。今日の打ち合わせなんだけどさ、純の彼女も来るって言うんだよ……』  私はそれを聞いて背筋に冷たいものを感じた。あの女と鉢合わせすると思うと身の毛がよだつ。 「はぁ!? それどーゆうことよ? あの女、別にバンド関係ねーじゃん!?」 『そうなんだけどさ……。純もうまく断れなかったみたいでよ。今回ばかりはウラに我慢してもらうしかねーかもしんないなー』  やれやれと私は思った。よりによってあの女と会うのだ。私の天敵と言ってもいいかもしれない。まぁ別に大志のせいであの女が来るわけじゃないし、彼を責めてもしょうがないだろうけど。 「わかったよ……。今回は頑張ってみる。でも限界来たらごめんね」 『悪いなー。前に美佳ちゃんと会ったとき、お前たちすんげー険悪だったじゃん? だから本当は会わせたくなかったんだけどねー』  大志のその言葉だけで私は彼の気持ちに応えようと思えた。今回だけは耐えよう。あくまで大志のために。  大志が迎えにくるまでの間、私は気持ちが落ち着かなかった。幸いなことに茜ちゃんはSGを楽しそうに弾いていてくれた。これから始まる苦行を思うとさすがの私も息が詰まった。
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