裏月 キーラー・ヘヴィサイド

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裏月 キーラー・ヘヴィサイド

 店内のBGMは、フライミートゥーザムーンのボサノバアレンジが流れている。南国にでも来ているようなアレンジで、少しテンションが上がった。  里奈はコーヒーをすすりながらニコニコ微笑んでいる。それから、もったいぶりながらフィアンセについて話し始めた。 「私が彼と出会ったのは、『活動』で手話教室やってた時なんだ」  里奈はそう言ってスマホを出すと彼と一緒の写真を見せてくれた。そこには瞳をキラキラさせながら微笑む里奈とメガネをかけた男の人が写っている。別段イケメンってわけでもないけど、里奈には合ってそうな感じの好青年だ。あくまで一般的な意味で。 「普通な感じの人だね。なんか里奈っぽい」  私は率直な感想を里奈に伝えた。 「えー、かっこいい人だよー。ウラちゃんは見る目ないなー」  里奈はうざい感じのノリでそう言うと「フフフ」と可愛らしく笑った。この娘はいちいち可愛らしい。 「で? 例の《救いの塔の会》だっけ? 彼もその団体関係の人なわけね?」 「そだよー。教会で聴覚障害者向けの聖書教室のボランティアしたときに知り合ったんだー」  河瀬里奈は宗教団体に所属していた。詳しくは知らないけど、キリスト教系の新興宗教らしい。よく機関誌なんかを持って、住宅街でお宅訪問をする団体みたいだ。  そこに所属すると、家族みんなで布教活動をすることになるんだとか(布教ってなんかよくわからないけど)。  熱心な信者たちが、毎日のように聖書の言葉を声高々に世界に届けていると言うわけだ。  はっきり言うけど、私はそんなうさんくさい宗教とかマジで信じてない。でも、里奈が言うことなら、ちょっと信じても良いかなとか思ってしまう自分がいる。神は偶像の中ではなく、人の心の中に宿るのかもしれない。 「それでね。一緒に手話を習って、お互いに色々と『活動』してたの。そしたらだんだん一緒にいる時間が増えて、気がついたら付き合ってた」 「ほぉー、でました。気がついたら付き合ってたパターンね。鈍くさそうにしてて、里奈ちゃん、やるときはやるねー」  私は皮肉半分、祝福半分を込めて里奈を軽く小突いた。 「えへへへ」  里奈は照れながらも嬉しそうにしている。可愛い。私がお嫁さんにもらいたいくらいだ。おお、神よ。我に河瀬里奈を与えたまえ。なんてね。  気がつくと、BGMが変わっている。なぜかドラえもんのボサノバアレンジだった。なぜにドラえもん? 「結婚式とかすんの?」 「するよー! ぜひ、ウラちゃんには出席してもらいたいね。友人代表のスピーチお願いしたい」  そう言うと、里奈はクラムベリーパイを、美味しそうに頬張った。 「出席かー。お祝いしてあげたいんだけどさー……。ほら、私ってこの髪だしさ。ヤンキーが来たと思われそうで」  私は自分の髪の金髪の部分を掴んで持ち上げてみせた。  私の髪型はショートヘアで、左半分は地毛の黒髪で右半分は金髪だ。バンドをやるのにインパクトを求めたら、こんな髪型になってしまった。(私は割と気に入っているけど。家出する前の妹の視線が痛かったな) 「大丈夫! 誰も気にしないよー」 「そうかなー?」  そう言って私は、自分が里奈の結婚式に出席しているところを想像してみた。神の使徒たる《救いの塔の会》の方々が列席するなか、一人だけヤンキーが紛れ込んでいる。ウケる。 「いやいやいや、絶対おかしいって! 私一人浮き過ぎだから」 「いいじゃん。ウラちゃんは浮いてんじゃなくて、すごく個性的なだけだよ」 「あの里奈……。すごく個性的なことを世間では『浮いてる』っていうんだよ」  そうしていると、ドラえもんのボサノバアレンジが終わった。けっこう良いアレンジだったな。 「そうなのかなー? 私はウラちゃんの髪型も話し方も好きだよ。ぶっきらぼうな感じがおもしろいし!」  里奈は屈託のない笑顔でそう言った。  私たちは窓の外に目をやる。灼熱の太陽がアスファルトを焦がし、遠くには逃げ水が見えた。  今から里奈と一緒に買い物に行くんだけど、この暑い中、大通りを歩くと思うと少し気が重くなる。 「そういえば里奈、明日お祭りいくの? 私は夕方までバイトだからその後暇してるんだ」 「そっか、お祭り明日からだったね! どーしよーかなー。明日の夕方、彼が来るんだよねー」里奈はやっぱりのろけている。 「じゃあ、いーよ! 私も男と行くから」 「ウラちゃん、この前、彼氏と別れたって言ってなかった?」 「あれとは違う男だよ!」  本当はその元カレと別れてから、付き合っている男はいなかった。ちょっとだけ見栄を張っただけだ。まぁ、里奈にはバレバレなんだろうけど。やはり里奈は「フフフ」と笑っている。 「それじゃあ、出かけますか?」  里奈はクラムベリーパイの最後の一口を頬張ってそう言った。 「うん。行こうか」  私は立ち上がった。  そういえば店内BGMがサザエさんのボサノバアレンジに変わっている。これはもしかしたらアニソンのボサノバアレンジCDなんじゃないかと思った。  私たちは《カフェ・ミネルバ》を後にした。予想通り、外の気温は異常なほど暑い。里奈はつばの広い帽子を被り、私は黒いキャップを被った。 「あっちー」 「あっついねー」  私たちは太陽を恨むように呟いた。  灼熱の街は、お祭りムードいっぱいだった。普段はあまり商売っけのない店も飾り付けをしたり、商品を店先に出したりして浮かれているようだ。  この街は私が生まれ育ったところではないけど、今は第二の故郷になった気がする。第一の故郷は出入り禁止だ。  私たちは、駅ビル周辺の商業施設で一通り買い物をした。里奈は日用雑貨を一〇〇均と無印良品で一通り見て回った。私は晩ご飯のおかずを地下の食料品店で買い物することにした。 「ウラちゃんって、けっこうマメに自炊するんだねー」  私の買い物かごを興味深そうに覗きながら里奈は言った。買い物かごの中には、サラダに使う野菜や精肉店で切り分けてもらった豚肉、お徳用の調味料が入っている。 「出来上がってるお惣菜の方が安上がりな時もあるから、自炊ってめんどいよ」  そう言いながら、パック詰めされた鮭の切り身をかごに入れた。今晩は焼き鮭とほうれん草のおひたしにしよう。 「私は料理苦手なんだよねー。卵焼きでさえ焦がしちゃうよ」 「おいおい、お嫁さんになるのに大丈夫かい?」 「大丈夫! ……。じゃないかも……」  そう言って里奈は少し困った顔をした。 「まぁまぁ、何とかなるっしょ! 私だって自炊できるようになったのここ一年くらいだしね」  我ながら、よく自炊ができるようになったなぁ、と思う。実家にいた頃は、まず料理なんかしなかった。家事の一切は、妹がやってくれていた。掃除、洗濯、料理、あげくの果てには町内会の清掃活動まで、ほぼ妹がやっていた。(父はいつも仕事が忙しく、近所付き合いもおざなりだった)  そんなことを考えていると、まだ実家にいた頃のことを思い出した。ルナ……。元気してるかな? 「ただいまー」  私は学校から帰ると自宅の玄関を開けた。家の中は少し湿り気を持っていて、身体にダルさを覚える。 「おかえりー」  妹のルナの声とリズミカルな包丁の音が台所から聞こえた。夕飯の支度をしているみたいだ。私は居間にスクールバッグを放り投げると、学校の制服のままルナのいる台所に向かった。  ルナは鍋の火加減を見ながらネギを刻んでいる。慣れた手つきで包丁を振るう妹は、まるで主婦のように見えた。エプロンをした後ろ姿は何となく母親っぽさを感じる。  私は台所にある冷蔵庫を開けると、ペットボトルに入っているカルピスをコップに入れ、一気に喉に流し込んだ。 「お父さん、今晩は遅くなるって?」  私は二杯目のカルピスを注ぎながら、ルナの背中に話しかけた。 「うん。今日は新商品の展示会があるから帰り遅くなるってよ! 先に晩ご飯食べてろってさ」  ルナは支度を休むことなく、後ろ姿で私に応えた。 「そっか、ルナは今日バイト休み?」 「休ませてもらったの! そうしなきゃ誰が家のことやるの?」  ルナはイヤミっぽい言い方をした。たしかにルナがやらないと家のことが進まなくなる。 「お姉さぁ、お父さんに話してあげるからもう一回バイト戻る気ない?」 「嫌だよ。私さぁ、コンビニとかきっと向いてないんだよねー。てゆうか、接客が向いてないんだと思う」  そう言うと、ルナは炊事の手をとめて私の方を向いた。明らかに不機嫌な目だ。 「ねぇ、私も忙しいんだよ? お姉はやりたいことやって楽しんでるだろうけど、私もお父さんも時間が足りないんだ。少しは手伝ってくれてもよくない?」  ルナは私を責めるようにそう言った。手に握っている包丁が震えている。 「嫌なものは嫌なんだ。悪いけど、バイトなら他の子当たって! 私は協力できないよ」  私はそう言って自分の部屋に引き上げようとした。 「いいかげんにして!!」  そう言うとルナは私の手を掴んできた。だいぶ頭に血が上っているようだ。ストレスが溜まってるのかな? と他人事のように思った。手を振り払うのは悪いと思って、ルナの愚痴を聞き続ける。それにしても妹は、ずいぶんとストレスの多い日常を送ってるんだな。そんな感想しか出てこない。  同じ日に同じ親から同じ家に生まれた私たちなのに、なんでこんなにも性格が違ってしまったんだろう?  気がつけば、幼い頃そっくりだった容姿もだいぶ差が生まれたような気がする。私はセーラー服、ルナはブレザー。私はショートヘア、ルナはセミロング。私は不良、ルナは優等生。私は……。 「ウラちゃん!」  私はすっかり物思いにふけっていたけど、里奈の声で現実に戻ってきた。 「ああ、ごめんね。ちょっと考え事してた」  私は頬を人差し指で掻きながらそう言った。妹との喧嘩のことを思い出すのは本当に久し振りだ。 「ずいぶんと明後日の方向見ながら考え込んでるから心配したよ」 「うん。なんか急に、実家の妹のこと思い出したんだ」 「妹ちゃんのこと考えてたんだねー。たしか、ルナちゃんて名前だったっけ? 喧嘩して家出てきちゃったんだよね?」 「そうなんだよね。ほら、私ってぶっきらぼうで性格悪いし、自己中じゃん? 妹にはすっかり嫌われたみたいでさ。実家出てくる時もあの子を傷つけるようなこと言った気がするんだよねー」  私がそう言うと里奈は、少し困った顔をした。あまり聞きたくない話だったかな? 「ウラちゃんは性格悪くないし、自分勝手でもないと思うよ! たしかに少しぶっきらぼうなところはあるかもしれないけど、思いやりあるし! 私の知るウラちゃんは、実直で思いやりがある人だもん」  里奈は、ほっこりとした笑顔を浮かべながら、私の瞳を覗き込んでくれた。ヤバい。ホレてまうやろ。 「よくもそんなに恥ずかしげもなく人を褒めてくれるね」  そう言いながらも、私は口元を緩めずにはいられなかった。この娘は素直すぎるのだ。 「ほんとだよー。ウラちゃん素敵な人だと思うよ! ルナちゃんだって本当はウラちゃんと仲直りしたいはずだって」  彼女は目を輝かせながら、私に訴えかけてきた。  でも……。たとえ筑波山が噴火しようと(そもそも筑波山は火山じゃない)、ルナは私を許さないだろう……。あの子はそういう子だ。血を分け、同じ腹からほぼ同じタイミングで出てきた私だからわかる。 「ありがとう里奈。そんな風に私を見てくれるのは、里奈だけだよ」  私たちは買い物を終わらせると、駅の改札前で解散した。帰り際、お互いに手を振る。里奈が人ごみを足早に歩いて去って行く。その姿を私はずっと見ていた。さっき買った食料品のビニール袋が手に食い込み少し痛かった。
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