月姫 プラトン

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月姫 プラトン

「いらっしゃいませ! こんばんはー」  私はいつもの様にコンビニのカウンター内でタバコの補充をしながら来客に挨拶をした。バイト仲間の麗奈にはフライヤーからホットスナックを用意してもらい、売れる程度の個数だけ補充する。夕方は来客が増えるので、麗奈と協力してレジと商品の品出しをする。バイト先の状況はいつも通りだ。 「ルナぁ。入荷したからウチ搬入手伝ってくるよー」 「うん。お願いねー! 今日はドライ便多いから大変だけど頑張ろうねー」 「えぇー。多いの!? 嫌だぁ!」 「昼間売れたからねー。大変だと思うけど頑張ろうよ」 「わかったよぉー。つーか、ルナいいことでもあったの?」 「へ?」  私は麗奈に言われて変なところから声が出てしまった。 「べっ、別になんにもないよ?」 「ふーん……」  麗奈は疑わしそうに私を見ている。幼なじみだしバレバレかもしれない。  昼間、私は咲冬兄妹と知り合い、仲良くなった。彼らは千葉県出身で実家が任侠一家ということだったけどいい人たちだと思う。菊丸さんとは連絡先も交換したし、さっきスマホを見たら茜ちゃんからLINEの友達追加申請が届いていた。バイトが終わったら茜ちゃんに連絡しようと思う。  それはそれとして、今日は田村さんからお誘いがあった。来週のお盆明けの平日に時間を取ってくれるみたいだ。田村さんは私にどこに行きたいか聞いてきてくれた。まだ決めてないけどすごく楽しみだ。二人きりで出かけるなんて初めてだ。 「麗奈ー。明日は私午前中からバイトだから、商品の品出し終わらなければ明日に回しちゃってもいいよー。麗奈にはいつもシフト入ってもらってるしさ!」 「え! マジでいいの!?」 「うん! 二人で片付けるにはちょっと多い量だし、無理することないよ」 「そっか……」  私がそう言うのを聞いて、麗奈は嬉しそうな反面、どこか戸惑っているようだった。 「どうしたの? 麗奈大変そうだからさ。今回はちょっと考えてみたんだけど」 「それはありがたいんだけどさ。ルナが仕事で妥協するなんて珍しいなぁと思って。いつもは何が何でも終わらせるって張り切って終わらせるじゃん!?」  たしかに私はいつも仕事の虫のように店内の仕事を一気に片付ける、そういう性格だ。なので今日の自分は、いつもとテンションが違う気がする。おそらくは浮かれているのだ。  私は麗奈の指摘を適当に流して、商品補充とレジ打ちをこなしていった。思った通り、いつもより入荷が多いので麗奈は大変そうだ。自分の仕事を手早く片付け、続けて麗奈の手伝いに入る。彼女と一緒にスナック菓子やカップラーメンを陳列していく。私は陳列にこだわりがあって、商品のメーカー、銘柄、サイズをきれいに並べたい。そうすればお客さんも見やすいし、発注もしやすい。そしてなにより美しいのだ。 「マジでさぁ、ルナの商品並べるセンスすごいわ」  麗奈は感心するように言った。 「そう? まぁこだわり持ってやってるからねー。カルビーとコイケヤの並べ方こうじゃないと気持ち悪くって」  私は喋りながらもポテトチップの新製品と既存製品のレイアウトを変更していった。色とりどりのスナック菓子の袋が美しく陳列されていく。それは私にとって本当に気持ちのいいことだった。もし、スナック菓子(もしくはカップラーメン)陳列コンテストがあれば私は割と上位に行くんじゃないかな?  終わらなくても良いと思っていた商品補充は、気がつくとほとんど片付いていた。私は入荷した商品の段ボールの処分を麗奈に頼んで、チルドの発注に取りかかった。  麗奈はゴミ置き場に段ボールを運ぶ。その間に少しレジが混んだけれども、すぐに人の波は切れた。商品補充も完了。今日の分の仕事は無事に終わった。この充実感と達成感、やっぱり私は仕事の虫なんだと思う。 「段ボール捨ててきたよー」 「お疲れ麗奈! あと三〇分だからゆっくりしてていいよ。お客さんも居ないし、発注も終わったからねー」 「うん。てかさ、ルナやっぱすごいよ! あの量の入荷をほとんど一人で片付けちゃったじゃん? ウチがモタモタしてる間にやっちゃうんだもん!」 「私、この仕事慣れてるから」  天職かもしれない、と心の中で付け加える。  私は時間帯最後のレジの過不足チェックを行った。麗奈には外掃除に行ってもらう。本当にいつも通りのバイトの時間だった。なのに私の前に広がる世界は色鮮やかに見えた。たった一人の男の人と食事にいく約束を取り付けただけで、こんなに浮かれるんだから私は安い女だと思う。  気がつけば、バイトも終わりの時間になっていた。私と麗奈は夜勤に仕事を引き継いで退勤する。バックルームで制服を脱ぎながら麗奈に話しかけられた。 「やっぱりルナ何かあった? すんごい嬉しそうだよ?」 「なーんもないよ! 気のせい、気のせい!」 「まぁいいけど。ウチは明日休みだからゆっくりさせてもらうねー」 「うん、ゆっくりしなー。またシフト協力してもらうかもしれないからその時はよろしくね」  麗奈は迎えにきたお母さんと一緒に車で帰っていった。私は原付に乗る前にスマホで茜ちゃんに連絡してみた。 『こんばんは! 茜ちゃんげんきになった?』  少し待つと返信が来た。 『こんばんは! ルナちゃん今日はありがとう。あたし具合悪くなっちゃって辛かったんだぁ。本当に助かったよー』 『そっか! もう大丈夫なの?』 『まだちょっと具合悪いけど大丈夫だよー。 菊兄もお礼言ってます』 『落ち着いたみたいでよかったよ。せっかく連絡先交換したんだし、いつでも連絡ちょうだいね!』 『うん! ありがとー。あたしもっとルナちゃんと仲良くなりたいです。また会いたいなー』 『そうだね。また会おうよ! 菊丸さんにも伝えておいてね!』 『わかったー。そうそう、新しい家見つかりそうだよ! なんか家賃が安い家あったんだってさ! よかったらルナちゃん遊び来てね』 『うんうん! 引っ越したら住所教えてね! 必ず行くよ!』  そこで茜ちゃんから猫のスタンプが届いて、私たちのトークは終了した。スマホをデイバッグにしまう。それと廃棄になった食品の入ったビニール袋も。私は家路に着いた。  週末、私はバイトをしながら田村さんとどこに出かけるか考えていた。私が機嫌がいいので、父さんもパートさんも不思議そうな顔を向けてくる。  お盆明けに私は父さんに頼んで一日休みをもらった。普段休まずに働いているお陰か、周りのパートさんもバイトも私の急な休みに文句を言ったりはしなかった。私は自分なりに美味しい店を探したり、一緒に行って楽しそうな場所を探したりした。そして、イタリアンのお店と大洗町の水族館に行くことに決める。田村さんに伝えるとあっさり「そうしよう」という話になった。  田村さんと遊ぶ日の朝、私は人生で一番おしゃれをした気がする。父さんにそんな姿見られたくなかったから、父さんが仕事に出かけてからこっそり身支度を調えた。  いつもポニーテールにしている髪型をまっすぐに下ろして髪が跳ねていないか鏡を見ながら念入りにチェックする。化粧はあまり厚化粧にならないように気をつけながら自然に見えるようにした。この前、水戸駅に行ったときに買ってきたワンピースを着て姿見の前に立ってみた。我ながらなかなか似合っていると思う。  今日は私の家の前まで田村さんが迎えに来てくれる。私は田村さんにLINEを送るとサンダルを履いて庭先に出た。その日は生憎の曇天で空気がとても湿っている。つまり不快指数は高い。それでも私の口元は緩んでいた。田村さんから誘いを受けてからというものずっとこんな感じだ。恥ずかしいな、とは思っていても、どうにもならない。  少しすると遠くから黒のワーゲンゴルフが私の家の方向に走ってきた。心臓の鼓動が速くなって、落ち着かない気持ちになった。そんなことはおかまいなしに、田村さんの車は目の前で速度を落として停車した。  私は軽く会釈をすると田村さんの車の助手席のドアを開いた。開こうとする手が少し震える。 「こんにちは、今日はよろしくお願いします」  できうる限り平静を装って助手席に乗せてもらった。田村さんはとても自然な笑顔だ。 「こちらこそよろしくね! ルナちゃんと二人で出かけるのは初めてだねー」 「そ、そうですね。一緒にバイトしてた頃はよく二人きりでしたけど、出かけるのは初です!」 「うんうん! 今日はなんでも話聞くから、まぁ気楽にね」  私は「はい!」とだけ答えた。彼のワーゲンゴルフはこの前と同じ道を通って国道に抜けていく。やはり天気は悪くフロントウィンドウに雨が滲んでいるようだった。彼はワイパーを最弱で動かし、ゆっくりと運転している。彼の隣の席に座っていると気持ちが落ち着かない気がしたけど、乗り心地はとても良かった。 「降ってきちゃいましたねー」 「そうだね。せっかく水族館行くのにね! ルナちゃん大洗水族館行ったことある?」 「ありますよ! 小さい頃お父さんとお姉と一緒に行きました。それ以来だからもう一〇年くらい経ってますね」 「そっか。俺、実は行ったことないから楽しみなんだよねー。普段インドアだけど、たまにはいいよね」 「そっか。田村さん水族館行くの初だったんですね! あそこの水族館はサメが有名なんですよねー。あとイルカとアシカのショーも可愛いです。しばらく行ってないけど私も楽しみだなー」 「ルナちゃんが楽しみにしてるならよかったよ!」  そう言って田村さんは私の方を向いて微笑んだ。  ワーゲンゴルフは小雨降る国道を走り抜け大洗町の海岸線へと抜けていった。この前はうるさい二人がいたのであまり気づかなかったけど、彼の運転はかなり乗り心地がいいと思う。父さんは運転が荒いので比較するとよくわかった。  海岸線を通り過ぎ、大洗神社の道路にかかる大きな鳥居を抜けるともうすぐ水族館だ。その通りには海産物を販売するお店や飲食店が数軒、軒を連ねている。少しくたびれた老年の従業員が呼び込みを行っていた。その光景を横目に見ながら私たちは水族館の下にある駐車場に向かった。  駐車場は満車とはいかないまでも多くの乗用車が停まっている。田村さんは車を水族館にできうる限り近い場所に停めてくれた。 「着いたねー!」 「そうですね! じゃあ行きましょう!」  私たちは車を降りると水族館へ向かう階段を上った。二匹のイルカが吊るされたオブジェがあり、オブジェを覆うようにアーチと鐘が取り付けられている。どうやら恋人同士で鳴らす鐘のようだ。当然私たちは鳴らさなかった。悲しいことに。  水族館の入場口に向かうとアテンダントがチケットをチェックしている。私は券売機に向かおうとしたけど、田村さんに止められた。 「ルナちゃん大丈夫だよ! 俺、前売り券買っといたからさ。このまま行こう!」 「え? そうなんですか? じゃあ行きましょう! えーと、おいくらでしたか?」 「ん? あーいいんだよ! こういう時は男が払うもんだしね。ルナちゃんは気にしないで」 「え! そんなー。そう言うわけにはいかないですよ! 私の相談にのってもらうのにお金まで出してもらったら……」 「いいから、いいから。俺の顔立ててここは払わせて! ルナちゃんにはバイトのときにいつも助けてもらったし、本当に気にしなくていいから」 「でも……」  言いかけた言葉を飲み込んだ私は田村さんの好意に甘えることにした。これじゃまるで付き合ってるみたいだ。  それから私たちは館内に入り展示を見て回った。小さな魚を集めた小型の水槽やかなり大きめの水槽もあった。売りにしているサメもたくさん泳いでいる。展示された部屋は全体的に暗めで青黒い光が海中を表現しているのだ。 「ママー、みてみて! マンボウさんいっぱいだねー」 「そうだねみーちゃん! マンボウさんいっぱいだねー。おっきいねー」  若い母親と小さな女の子が大水槽に張り付いてマンボウを眺めている。マンボウはのんびりとした様子で尾びれを動かしながら旋回していった。 「田村さん。マンボウ見るの初めてですか?」 「うん。初めてだね! おかしな顔してる」 「なんか……。癒されますねー。あーマンボウ可愛いなー」 「ルナちゃんマンボウ好きなの?」 「うーん、好きな方ですかねー。あのとぼけた顔がたまらなくて、ボーッとした顔好きなんですよねー」 「なるほどねー。ルナちゃんはボーッとしたのが好きなのか」  田村さんは妙に納得しているようだ。何に納得してるんだろう?  その後も私と田村さんは水族館の順路を進んで行った。体験コーナーではヒトデに触れた。田村さんは多少気持ち悪そうな顔をしていた。あまり得意じゃないんだと思う。順路は一旦屋外を示す。屋外は多少雨が降っていたけど、イベントとしてペンギンとカピバラの行進をやっていた。可愛い。 「すごく楽しいですねー。いつもバイトばっかだからたまに出かけるのって本当に楽しいです」 「ハハハ、ルナちゃんは働きすぎなんだよ。お父さんにいってもう少しシフト減らしてもらえばいいのに」 「なかなかそうもいかないんですよねー。茉奈美も麗奈も就活忙しいし、パートさんも色々予定入りますからねー」 「だとしても、ルナちゃんはもう少し息抜きした方がいいよ? この前も疲れてたよね?」 「そうですね。でも大丈夫です! 私バイト好きだし、人の役に立ってると思うとなかなか辞められないんです」 「やっぱりルナちゃんは頑張り屋だなー。まぁあんまり無理しないでやるといいよ」  そう言って田村さんは、私の頭を軽くポンポンと叩いた。彼のその仕草は私の気持ちをどこまでも遠く彼方へと運ぶ。嬉しすぎる。  私達は順路の最後に、イルカアシカショーを見ることにした。開演時間もちょうどぴったりだったからすぐに会場に入れた。私は田村さんに促され座席の前列の方に進む。 「大丈夫ですかねー? 前の方だと水ハネすごそう」 「んーたしかにねー……」  そんなことを言っていると飼育員のお姉さんがステージに現れて、イルカショーが開演した。イルカ達はプールを自由に泳ぎ回って、天井からぶら下がっているボールに尾びれでアタックしている。かなり迫力のあるアトラクションだ。イルカ達の芸が一通り終わると、今度はアシカがステージ上で可愛らしく曲芸を始めた。アシカ達は鼻の上に棒を立てて、その上で小さなボールをバランスよく乗せている。会場は子供たちとカップルの歓声と笑い声に包まれた。  イルカとアシカのショーが一段落すると小型のクジラの大ジャンプにショーは移った。 「さぁみなさん! 名残惜しいですが最後です! オキゴンドウのダイスケ君が大ジャンプして天井の高い球にアタックします。成功しましたら盛大な拍手! よろしくお願いします!」  飼育員のお姉さんがそう言うとクジラのダイスケは凄い勢いでプールを旋回し始めた。半周ほどプールを回るとダイスケは大きなジャンプでボールにアタックし、勢い良く着水した。勢いが強すぎてプールの水が大量に溢れる。 「ひゃぁ!」 「あちゃー」  水を被って、思わずといった風に声が出る。二人とも、クジラのダイスケのジャンプのせいでびしょ濡れだ。想像していたよりも更に水量が多くて、髪の毛までしっかり濡れてしまった。 「あーあ、こうなると思ったんですよ」 「もうちょい裏の席にすればよかったね」  笑いながら、そんな会話をした。  すっかり濡れてしまった私たちだったけど気持ちよかった。買ったばかりのワンピースとセットした髪のことは残念だけど田村さんと一緒に失敗するのは悪い気はしない。ショーが終わると係員の人が私達にバスタオルを貸してくれた。  私たちはお互いの顔を見合わせてクスクスと笑った。バスタオルで髪と服から海水を拭い取りながらベンチに腰を下ろす。 「楽しいですねー。こんな子供みたいなことしたの本当に久しぶりです」 「そうだねー。俺も楽しいよ。濡れたのは想定外だけどさ」  それから田村さんと私は他愛のない話をたくさんした。何を話したのか覚えていないほど他愛のない話を。それがすごく幸せで、嬉しくて、このまま時間が止まればいいと思った。  水族館の大きな窓から外を見ると雨は本降りになっている。どっちにしても、もうびしょ濡れなので関係ない気もするけど。 「ルナちゃんが楽しそうでよかったよ。ほら、この前お姉さんのことで話したいとか言ってたからさ。やっぱり仲悪いままなんだよね?」  田村さんは不意にへカテーの話をした。 「ああ、お姉のことは……。あんまりいい状態じゃないですね。あの人自分勝手だからもう愛想がつきちゃったんですよね」 「ウラちゃんから連絡とかないの?」 「あの人からはないですね。つい二、三日前に水戸駅でそれっぽい人は見かけましたけど見失っちゃいました」  意外なことに私はへカテーの話をすんなり田村さんに話せていた。いつもは彼女の話をしようとするとうまく話せなくなってしまうのになんでだろう? 「でもさー。お姉さんだっていつまでも喧嘩してたらやりきれないと思うけどなー。俺が口出しすることじゃないけど、ルナちゃんから連絡してみる気はない?」 「う……。それは……。たしかに仲直りとかできたらいいかもしれませんけどね。私から連絡するのはちょっと」 「ねえルナちゃん。喧嘩はどっちが謝るかが大事じゃないと思うんだよ。仲直りして互いに理解し合うことが大事なんじゃないかな?」  田村さんは優しい口調で私に正論を言った。正論は正論として理解はできる。でも、私は納得できなかった。 「あの田村さん! もう少し話したいんですけど場所変えませんか? ゆっくりご飯食べながらお話したいです」 「ん? いいよ! もちろん今日はそのつもりだったからね」  私たちは水族館を楽しんだ後、一緒に食事に出かける。彼に話を聞いてもらおう。そして、最後に私の気持ちも……。  外は恐ろしいほどの雨が降り続き、海が荒れていた。
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