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乙島高校の写真部の部室は、物置のようになっている小部屋と、その奥にある暗室に分かれている。
ある秋の放課後、二年生の平良木霧歌は、能面のような顔で暗室から出てきた。
写真部は幽霊部員ばかりで、霧歌の他に部室へ頻繁に訪れるのは顧問教師の稲生篤人くらいなのだが、その稲生の方は気楽な表情で霧歌を迎える。
「特に何も現像してないだろう。なぜわざわざ暗室に?」
一人になりたいからだ、とは霧歌は言わない。弱みを見せるのは、隙を突いてくれと訴えているのと同じだ、と思う。
「またコンテストで落選しました。いい写真撮ってるつもりなんですけど」
「実力通りに評価されるとは限らないからな」
「……どうも」
「選ぶ方も難しい時代なんだよ。芸術性、技術、公序良俗、何でもかんでもに気を遣えばなぜか一番面白くない写真が選ばれる。かといって優先順位を定めれば、納得のいかない入選だって増える。そうしてせっかく難しい写真を入選させても、選評によっては作者から『真髄を読み取れていない』とクレームが来かねない、そうなりゃ撰者にすれば立つ瀬がない。撰者より批評屋がもてはやされるのは、古今東西同じだしな」
稲生がいつにも増してよくしゃべる。この教師なりに慰めようとしてくれているのだな、と霧歌は憮然としながらも気付いた。口を尖らせたくなるのを我慢して、つぶやく。
「改めて思うんですが……入選を狙って、それだけを目的に写真撮るって、もしかして凄く難しいですか」
「色んな意味でお勧めしないね。今のお前に、俺は、ってことだけど」
「……コンテストで入選するための写真て、もしかして落選したらゴミにしかならないですか?」
稲生が、垂れがちな目を軽く見開いた。
「お前、本当に傷付いてるんだなあ」
「私、写真については何て言うか……結構、抜き身なんですよ。心が」
壁にもたれていた稲生が、ゆらりと歩く。霧歌の一歩前で立ち止まり、二人は相対した。
「泣くなよ」
「泣いたことありません」
稲生が躰をかがめる。
霧歌は傍らのテーブルにあった古いカメラ――半ば置き物の――を拾い、教師の顎先を下から軽く打ち上げた。
「いってえ」
「もう、そういうことしないので」
「お前、俺のこと好きじゃないもんな」
そう言って、自分こそ傷付いたように稲生は笑う。この笑顔を放っておけない時期も、霧歌にはあったが――
「先生に好かれた覚えもありませんけど」
――今でも、まるで平気というわけではない。だが、胸の中で小さく尖った痛みは、もう過去のものだった。少なくとも今のそれは、恋ではない。
「平良木、他に好きな奴ができただろう」
(この教師)と霧歌は胸中で毒づく。
「……先生こそ、女子高生が好きなのか、未成年が好きなのか、自分の生徒が好きなのか……そういう分類があるのか、お訊きしたいですね。なんでよりにもよって一度は私みたいなのを選んだのか、納得いかないので」
稲生が体を離した。笑っている。
「お前、多分、男に好きになられるのと嫌われるのとが、同じ理由なんだろうな」
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