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傘の花を浮かべ雨に唄う
雨は好きじゃない。
楽器店を出ようとして始めて、昨日の天気予報で雨が降ると言っていたことを思い出した。音から察するに、かなり強い雨が空から落ちてきているのだろう。
もちろん、傘は持っていなかった。歩いてきてしまったため、車もない。
タクシーを呼ぶのはなんとなく悔しい気がするし、第一、節約している意味がなくなってしまう。
少しだけ雨が止むのを待ってみようと思った。小降りになれば、あるいは走って帰れるかもしれない。事務所へ戻り、テレビをつける。
ちょうど天気予報が流れていたのだが、どうやらしばらく雨は止まないようだった。
時刻はすでに十九時を過ぎている。
店長はすでに帰宅してしまったので、響いているのは雨の音だけだ。いつもりとさんと一緒に見ているバラエティ番組が始まり、寂しい気持ちに覆われた。
チャンネルを変えて、野球中継を探す。まだ三回の表だったけれど、シャイニングは三対一で負けていた。
恋人であるりとさんは、昨日から親友の市川さんの家に泊まりがけで遊びに行っている。旦那さんが社員旅行で一週間ほど家を開けるらしい。戻ってくるのは明日の夕方の予定だ。
りとさんと一緒に暮らすようになってからも、ずっと一緒にいたいと思ってしまう自分がイヤになる。喜々として出かけて行ったりとさんを見て、寂しいとさえ思ってしまった。
俺は元々、こんなに独占欲が強くて、寂しがり屋だったのだろうか。
最悪の一日になりそうだった今日が確定してしまいそうで、憂鬱な気分におそわれる。
いつも起こしてくれるりとさんがいなかったため、今朝は寝坊してしまった。ぎりぎり出勤時間には間に合ったけれど、朝食をとり損ねたのは言うまでもない。
ぐうぐう鳴るお腹と戦いながら接客をして、やっとお昼。ラーメンでも食べに行こうと考えていたのだが、そこで得意先への電話を忘れていたことに気がついた。
電話しているうちにお昼を過ぎてしまい、十三時過ぎにラーメン屋へ向かった。時々食べに行くその店は年中無休なのだが、何故か暖簾はかかっておらず、「本日臨時休業」という張り紙が出ていた。
仕方なく近くのコンビニへ向かう。しかし、お弁当はほとんど売り切れだった。カップラーメンとパンで胃袋を満たし、仕事を再開。
午後からは、急遽頼まれたピアノ教室の楽譜の注文や商店街のミニコンサートの準備でてんてこまいだった。
しかも、途中で店長に頼まれていた用事を忘れていたことに気がついた。幸い、お客さんや店の損失にはならなかったのだけれど、正直ヒヤリとした。
りとさんが留守にしているというだけで、こんなにもついてない一日を過ごすことになるなんて。自分で自分にがっかりだ。
スマホを取り出して、りとさんからのメールを確認すると、
「永野のホームランで一点先制!」
よほど嬉しかったようで、ハイタッチという意味の絵文字が添えられていた。どちらかが残業のときは、シャイニングの試合経過をメールで報告することになっている。
お互いに取り決めたルールではないのだが、いつの間にか自然とそうなった。その後の報告はまだないので、きっと点を取られたばかりなのだろう。
返信しようとして、ふと手を止める。
ハイタッチという気分ではないし、かといって「元気?」は不自然だ。「何してる?」じゃストーカーみたいだし、「ご飯食べた?」って、市川さんと一緒なんだから、食べたに決まってるよな。
散々迷ったあげく、「元気に残業中」と打つことにした。
雨はまだ降り続いていて、ふいに小さい頃の思い出が胸をよぎった。
幼稚園に入った頃には、すでに母が入院していたため、俺は毎日父が迎えにくるのを待っていた。
こんな雨の日にも、幼なじみである陽日やクラスメイトたちは母親と一緒に手を繋いで帰宅して行く。色とりどりの傘を開いて、雨の歌を口ずさんで。
うらやましいと思ったことはあまりなかったけれど、寂しさは今でも心に残っている。
スマホのメール受信音が鳴り、ふと思い出から我に返った。
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