第一章

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頭の片隅で思考しつつ、課題の紙にまとめた事を書いていると、ふいに部屋の扉を叩く音が聞こえた。直後に響く、父の声。 「ディル、ちょっと良いか?」 こんな時間に珍しいなと驚きつつも「良いよ、どうしたの?」と、扉を開ける。 お風呂上がりなのだろう、いつも後ろに流している髪が下ろされていて、まだ少し濡れていた。 「…っと。勉強してたのか、悪ぃな。」 机に置かれているものが目に入ったのだろう。苦笑いを浮かべ謝罪を口にした父に、「もう終わるところだったから大丈夫」と答えて、自分のベッドに腰を掛ける。一方父はというと、向かい合うように机のイスを移動させ、ドカッと音を立てて座っていた。 それにしても、仕事終わりのこんな時間に来るなんて、余程大事な話なのだろうか?いつもだったら、今頃は大好きな母さんと過ごしているはずなのに。 「あー、その、な。」 大きな手で自分の頭をがしがしと掻きながら、歯切れ悪く口を開いた父。そういえば母さんが言ってたっけ。俺もよくやるこれは、昔からの父さんの癖だって。 じっと待つも、一向に口を割ろうとしない父に、そんなに言いにくい話なのかと思い当たる節を考える。いや、でも最近は特に何も無かった筈だが… 「どうしたのさ。そんな急に改まって」 埒が明かないと判断した俺は、こちらから話を振ることにした。待っているであろう母を思うと、早く父を帰してあげたいと考えたからだ。というか、いつまでも、「あー」とか「うー」とか言われるのも厄介だし。 「あー…。ん、俺の一番はシルディだがな。ちゃんとお前の事も好き、だからな?」 発せられた言葉理解するのに数秒かかり、理解したと同時に思わずぽかんと口を開けた。 「…いや、ほんとなに。酔ってんの?」 溜めるに溜めてこれか。何を今更分かりきったことを。 いつもの事ではあるが、全く持って話の意図が掴めない。一体何がどうしてそうなったんだと軽く父を睨む。 もしかして、俺が父親の愛情を欲しがっている子供にでも見えたとでも…? 「…俺な、昔は随分な嘘吐きだったんだよ。」 …いやいや。だからさ? こちらの質問を無視した唐突な返答に、外していた視線を再び父へと向ける。どうせいつもの様にニヤニヤと笑い、こちらの反応を見て楽しんでいるんだろうと思ったのだ。だが、そんな俺の予想に反し、自嘲的な笑みを浮かべ目を伏せている父を見て、文句を言おうとしていた口がつい止まった。 「シルディにも、沢山嘘をついたんだよ。騙して、裏切って。…傷もつけた。」 初めて見たその表情に、どうやらいつものお遊びでも、冗談でもないということを悟る。 とりあえず、今は黙って聞いておくべきなのだろうと判断。これから語られるのは、父さんの過去、か。 「金が支払われれば、何でもやったんだ。魔物の討伐はもちろん、街の警備とか情報集めとか…それこそ、人殺しも。」 手にじんわりと汗が滲んで、思わずそれをぎゅっと握る。 俺が聞いていたのは、父さんは昔、何でも屋だったということだけ。「情報屋さんとか警備員さんとか、会う度に違うお仕事を持っていたのよ、凄いでしょ?」と母さんが言っていたのは記憶に新しい。 「…不思議に思わなかったか?断壁があるのに、なんでサイレの俺がアルカのシルディに会ってるのか。」 はっとする。言われてみれば、その通りだった。分けた世界は行き来をする事も存在を知ることも無かったって書いてあったじゃないか。じゃあ二人は… 「なん、で?」 情けない事に声が少し震える。 「事故…らしい。俺がまだ小さい時にな、ローガス社が実験をしていた際に起こったんだと。」 続く父の話は、まるで夢のような話で、俺は言葉を失くした。 ローガス社が起こした事故に巻き込まれたのは、中心都市より少し離れた小さな町に住む人々全員で、頭に強い衝撃受けた後に目を覚ますと、見た事もない土地に投げ出されていたそうだ。 何が起きたか分からないまま、宛もなく歩き続けて、最初に目にしたのは、訳の分からない生き物と身体から火を出す人間…当時は互いの存在すら知らなかったのだから、もちろん魔法という言葉すらも知らない。事故に巻き込まれた人々は彼らがとても同じ人間とは思えず、恐怖に震え、その場所が異界であることを悟ったそうだ。 「…な、にそれ。」 「だから俺は…俺たちは、生きる為に何でもしたんだよ。必死で。元の世界に帰るために。」 頭をガツンと何かで殴られたような衝撃が走った。今、父はなんと言ったか。 (元の世界に帰るために何でもした…?) 「…っ。じゃあ、わざわざ断壁を無くしたのも、自分がこっちに帰る為だったってこと?」 「あー…いや、それはまた違う。と言っても、この話の流れからいくとそうなるわな。悪い。けど、本当なんだ。誓約があるから、無くなった断壁に関わる事を教えてやる事は出来ないんだが…。」 困ったように、頬を掻く父。 …なんだ、それ。また、言えない、教えられないって。 ここまで言っといて、そんなので納得できる訳が無いだろうに。 でも、少しだけ安堵したのも事実だった。目が真剣なのだ。多分、父のこの言葉は本当なんだろうなということが見て取れる。 「…分かった。じゃあもうそれはいい。で、結局なんでいきなり昔話なんかを始めたわけ?」 理由もなしに、こんな話をしたとは到底思えない。なんで今日、わざわざこの時間に… 「…カッコ悪いよなぁ、ホント。言いたくなかったよ、俺だって。お前はともかく、ルシィには絶対知られたくない…。パパきらい!とか容赦なく言われそうだし…」 ガクッと項垂れ、口にする父。じゃあ、言わなきゃ良かっただろとつい叫びたくなったが、それは今言うべきじゃないとぐっと堪え、じっと言葉の続きを待った。 少しして、意を決したように父は顔を上げる。 「ちゃんと言っておきたかったんだ。自己満足…と言えばそうなんだが、俺はお前たちに誇れるような生き方をしてきた人間じゃない。けど、今の俺はお前たちの父親だから。…もう、嘘はつかないと約束したから。いつか、この話が理解出来るようになる年齢になったら、打ち明けようって決めてたんだ。」 「…だから、世界を知れって言ったの?」 「…軽蔑、するか?」 こちらに向ける父の瞳が、不安気に揺れる。 …なんつー顔してんだ。 いつもの、自信に満ち溢れていて、ちょっとだけ格好良くて、意地悪く笑うそんな父さんからは全く想像もつかない表情に、まるで捨てられた大きな仔犬みたいだなと場違いな事を思った。 「凄いと思う。…父さんじゃなくて、母さんが。」 「…だよなぁ。俺もホント、それはしみじみ思うよ…」 「母さん実は見る目ないんじゃないの、それか面食いか、ダメ男が好きとか。」 「おいおい、やめろやめろ。しかも地味にそれ、俺が傷付くことしか言ってないからね?」 「うん、わざと。」 軽蔑…はしていない。もちろん驚きはしたけど。 想像でしかないが、きっとたくさん苦労したのだろう。そうするしかなかった、から。やるしかなかったから。 …父さんに比べたら、俺は凄く平和で幸せものなんだね。 ー
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