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科学倶楽部(その男、攻略対象につき)
必死で走っている中、建物の一棟へと入る。
乙女ゲームやっていたときは、アイコンだけだったから迷子になるなんてことはなかったけれど、実際の学問所はとにかくだだっ広いんだから、ジュゼッペの案内がなかったらこの建物もなんなのかわからない。
「あの、ここは?」
「特別授業棟さ。ここで化学や生物学などを学ぶのさ。僕もここにアジトをつくっているんだけどねえ、まあそこへ招待はおいおい」
おい、なんかさらりととんでもないこと言ってるぞ、こいつは。
突っ込みたいけれど、今は一刻も早くウィリスを止めるために、グローセ・ベーアの会議に参加しなかった彼を探さないといけないんだから。
でも、お菓子は置いてきたし、お茶も置いてきたし、いったいどうやって媚薬飲ませよう。こんなに出たとこ勝負にするつもりなんてなかったのにぃー!
私が頭を抱えている中、ジュゼッペはニヤニヤと笑う。
「フロイラインー、もうすぐ君の会いたい人に出会えるというのに、お困り顔のままのようだねえ?」
「からかわないでくださる? そもそも、媚薬はまだ持ってますけど、どうやって盛りますの。そもそも盛る相手だって……」
「心配しなくっても、その問題はすぐに解決するさ。それに、ほら。到着」
「あ……」
プレートに【科学倶楽部】と書かれている。
私はその扉をおそるおそる開けると、ポワンと煙が立ち込めているのが見える。
「……ええ?」
「彼は素養がいいねえ、いい錬金術師になれるだろうさあ。しかし悲劇だねえ。このままいったら、近い将来、親友と袂を分かつだろうさ。悲劇だねえ、いやあ実に悲劇だ」
「あなた、人の不幸を嘲笑う癖、なんとかなさったら? あのう……失礼します……」
私がこそこそと科学倶楽部の部室へと入ろうとするものの、何故かジュゼッペは入ろうとしない。私が「なんで」という視線を向けるけれど、彼は輝く笑顔で手を振るばかりだ。
「僕は君の玉の輿作戦の参謀だからねえ。ここで他の男の影があったら駄目だろう? 君の幸運を心から祈っているさ! チュース!」
そのままパタンと扉は閉まってしまった。
……なんなんだろう、あの訳のわからない幼馴染みは本当に。でも、ここまで連れてきてくれたことには感謝しておこう。
煙がポワポワ浮かぶ中、その煙が円を描いていることに気付き、私はそれを見上げた。
魔方陣……みたいに見える。
「綺麗……」
思わずつぶやいたとき、ようやくこの部屋の主は私の存在に気付いたようだ。
「……新入部員か? 倶楽部勧誘は明日以降だったと思っていたが」
ほのかな色香が漂っているバリトンボイスに、私は鳥肌が立った。そういえば、彼の声帯は「なんで乙女ゲームにこの人連れてきたの!?」と当時大騒ぎになった当時大人気のイケメン俳優だったと思う。
黒い髪は伸ばしっぱなしで、アメジストの瞳が冷ややかだ。そして、顔色が驚くほど悪いのは、この部屋が全体的に暗いからだけではないような気がする。
シュタイナー・ヘンネフェルト。
科学倶楽部の部長にして、グローセ・ベーアの一員。
……そして、錬金術に傾倒しているせいで、親友であり、信心深いウィリスとの友情に亀裂が生じつつある人。
はっきり言って、ウィリスに他のグローセ・ベーアを黙らせるためには、彼を落とした上で、ウィリスを説得してもらわないと駄目なんだけれど。
だから、どうやって媚薬を盛ればいいって言うのよぉぉぉぉ!?
私は頭を抱えたくなる衝動を必死で抑え込みながら、スカートをひらりと広げる。
「お初にお目に掛けますわ。私、アデリナ・ブライテンライターと申しますの」
「そうか。我はシュタイナーと言う。姓は聞くな」
本当のアデリナだったら、鼻息荒く「まあっ、シュタイナー様! 素敵なお名前! 姓も合わせたらもっと素敵なのでしょうから教えてくださいます!?」とでも言うんだろうけれど、今は彼の爵位よりもウィリスの親友ポジションを利用したいんだから、さっさと媚薬を口にしてくれないと困る。
私は内心ぐるぐるしながら、ふと彼がずっとひとりで操っているビーカーを覗き込んだ。翡翠色で鮮やかな薬だ。学校の薬品棚でいろんな薬を見たことがあるけれど、こんな色のものは見たことがない。
「まあ……綺麗。これはどんなものですの?」
「そうか。見所があるな、貴公は」
さっきからずうっと無愛想で無表情あった顔が、少しだけ綻ぶ。
シュタイナーは、アレクとは教義のことでさんざん揉めていた印象があったから、怒り顔か無愛想顔か、たがが外れて高笑いしている顔しか見たことがなかったから、この表情はかなり貴重だ。
シュタイナーは優しい顔をして、ビーカーを揺らした。
「これは人の心を改めたいと思う薬だ……親友と喧嘩していてね。互いに譲れないものがあるからこそ、厄介なものだな」
そのシュン。とした顔に私は「ああ……」と呻く。
シュタイナーがウィリスとの親友に亀裂が生じてもなお、錬金術を手放さないのは。彼の妹が現代医学では治療不可能な病気に侵されているから、その治療方法を求めて、錬金術に傾倒してしまったのだ。
本当はウィリスだってシュタイナーとは喧嘩したくないものの、彼は教義を捨てられない。シュタイナーは妹の命を諦められないから、ふたりは対立してしまうんだ。
アレクもシュタイナーの事情を知るのは、彼が妹のことを完全に諦めてしまってからだから、どうすることもできなかったはずだけれど……。
ふと、気が付いた。
ジュゼッペ。あいつ訳がわからないけれど、あいつの錬金術だったら、シュタイナーの妹さん、どうにかできないか?
それだったら、媚薬使う必要、なくないか?
「……人の心を改めたいって、それは思い通りにしたいってことですの?」
「……我は不器用だ。ウィリスのように、器用には生きられん」
「まあ、私にはウィリス様もシュタイナー様も、器用には思えませんわ」
少なくとも、あの訳のわからない幼馴染みを思えば、どいつもこいつも、私も含めて生き方が不細工過ぎるのだ。不器用どころじゃない。
私はシュタイナーに言い添える。
「先程、ウィリス様とお話しましたの。ウィリス様は、決して。あなたのことを嫌ってなんかはいませんわ。むしろ、教義と友情の挾間を揺れ動いてもなお、あなたのことを心配しておりました。薬を使う必要なんかはありませんわよ」
うん。私を殺そうとしたのだって、そもそも錬金術の気配をシュタイナーから遠ざけるためのものだったんだから。ウィリスがシュタイナーのことを教義の上でも裁くことができないなんてわかりきっていることだろう。
ゲームの中でも仲のいいふたりなんだ。私とアレクが敵対するのは仕方ないにしても、このふたりまで真っ二つに分かれちゃ駄目だろ。
「おふたりが話し合いするのでしたら、喧嘩にならないよう私も立ち会いますから。思う存分、話し合いましょう。ねえ?」
せめて、ウィリスの足止めさえ適ったら、残りのグローセ・ベーアに私のことが露見することはできないし。
このふたりはちゃんと仲直りしないと駄目だってば。
私の言葉に、シュタイナーは一瞬虚を突かれたような顔をしたあと、ふっと笑った。
慈愛に満ちた笑みだった。
……この人、本当はこんな顔をできる人だったんだなあと感心してしまった。
「……錬金術に頼らずとも、心は変えられる、か」
……ん?
私は一瞬だけ嫌な予感がした。
今の台詞、アレクがシュタイナーの好感度を上げたときのもの、だったような……。
頭にゲーム内でさんざんやらかした修羅場のあれやこれやが走馬灯のように駆け巡った……いや、実際に私、一度死んでるけど……。
だ、大丈夫! 修羅場にならないよう、媚薬を盛るもろもろは、あとでジュゼッペに投げよう! ついでにシュタイナーの妹さんがどうにかならないかも相談しよう!
次はウィリスにリベンジだ!
****
アンドレーエ学問所には、数多の棟が並び、それぞれの棟で生徒は知識を得て、社交界の常識を学び、友情や恋に励んでいる。
そしてその地下は、実は全て繋がっていることを知る人間は少ない。
「ふんふん……いやあ、まさか媚薬を盛らずに落とせたとはねえ……」
全ての棟にはパイプが設置され、パイプ越しに音を聴くことぐらい、訳はなかった。
ジュゼッペはにやにやしながら、地下の空洞にある部屋で、ソファーに転がりながら科学室の話を聴いていたのだ。
「いやあ、面白い。このままいったら、グローセ・ベーアの内、ふたりは陥落するだろうねえ。でも、我らが宿敵は宿敵なのだから、そう易々は楽をさせてくれないんだよねえ。いやあ、楽しみだ楽しみだ」
そう言って科学室のパイプに蓋をすると、今度は別のパイプに手をかける。
そのパイプは、図書館へと繋がっている。
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