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 小さな白い花とたくさんの蔦が絡む大きな門を抜けて車を降りると、春の終わりの暖かな風がエイトの頬を撫でた。  しばらく歩くと広げられたテーブルクロスが太陽の強い光を反射して輝いているのが見え、庭と呼ぶには広すぎる原っぱの向こうにはなだらかな丘がいくつもあった。見渡しても隣地との境界がわからないほど広大な土地に建つ高い建物はブレッドの両親の家だけだ。  屋外の大きなテーブルセットのそばには4人の大人と1人の子供がおり、こちらに向けて手を振る姿が見えた。 「父さん、母さん久しぶり。遅くなったかな」 「いや、時間通りだよ。エイト君だね、初めまして。ブレッドの父のダミアンだ。こちらは妻で番のソフィア。君に会えて光栄だよ」  ワイングラスが置かれ、サンドイッチやクラッカーが用意されたテーブルの横で微笑みながら手を差し出された。ブレッドに劣らず背の高いダミアンはさすがに元外交官というだけあって、流れるような所作に人好きのする笑顔だ。 「はっ、初めまして。エイトです。ご挨拶が遅くなってすみません」  エイトがおずおずとその大きな手を握ると強い力で握り返され、そのまま抱きこまれた。  驚くまもなく抱き込まれた背中をダミアンはバシバシと叩き、弾む声でいった。 「やっとブレッドが落ち着いてくれて一安心だ。私たちは君を歓迎するよ」  感極まったようなダミアンの様子にエイトは呆気にとられた。 「ちょっと、あなたばっかりずるいわ」 「へっ?」  抱きしめているダミアンを押し除けるようにしてソフィアもエイトを抱きしめた。  プラチナブロンドでふわふわの髪がちょうどエイトの顎をくすぐった。羊族だとういう彼女の髪は柔らかくて、ほのかに香る甘い匂いに昔母に抱きしめられた記憶が頭をよぎった。 「いつ会わせてくれるのかってヤキモキしたわ。エイトさんがこんなに可愛らしい子だったなんて、もっと早く会いたかったわー」 「こっちはいつでも会える支度が整ってるのにブレッドがいつまでも首を縦に振らないから、困ってたんだよ」  熱烈な歓迎ぶりにエイトは状況がよく理解できない。今まで会えなかったのはご両親の方が都合がつかなかったからじゃないのか?  目を瞬かせながらブレッドの方を見ると顔には笑みを浮かべながら額に青筋を浮かべている。 「父さん、母さん。俺たちも自己紹介したいんだが」 抱きしめるソフィアの横から呆れた声がした。 「俺はブレッドの兄のルイス、こっちは妻のキャシーとメアリーだ」  ルイスの紹介に合わせてキャシーは優雅に、メアリーはペコリと頭を下げた。 「エイトです。よろしくお願いします」  ソフィアに抱きしめられ困惑したままエイトは挨拶を返す。 「母さん。その人は私の大切な番だからね、歓迎してくれるのは嬉しいけどあんまり気安く触らないでくれないかなエイトも困っている」  ブレッドは言うなりぎゅうぎゅうと抱きしめている母親を引き離して、エイトを自身の背後に隠した。  その様子に二人は顔を見合わせて歓喜した。 「嬉しいわ、あなたがそんなに独占欲丸出しになる人と出会えるなんて」 「ああ、いつも覚めたように世間を見ていたブレッドがこんなに情熱的になるなんて、話には聞いていたけど実際見てみてよくわかったよ」 「どれだけ父さんと母さんが私のことを心配していたかよくわかったよ。でもひとまずそれは置いておいて、乾杯にしないかな」  いつもとちがう困惑したブレッドを背後から見ると耳が赤くなっている。人前でも気にせずエイトを引き寄せたりするブレッドも、両親を前にすると羞恥心というものがあるらしい。  エイトは新しい発見をした。それだけでもブレッドの両親と会った甲斐がある。 「そうね、みんな揃ったし。さ、あなた」  妻に促され、ダミアンは慣れた手つきてテーブルの上のワインを手に取り、コルクを抜いた。 「今日は泊まっていくだろう?いいワインが手に入ったんだ。エイト君はいけるクチかな?」 「あ……はい、少しだけなら……」  差し出されたワイングラスをエイトが手に取ると、ダミアンは透明な液体を並々とグラスに注いだ。 「父さん、まだ昼間だしエイトはそんなに強くないからあんまり飲まさないでください」  同じようにワインを注がれながらのブレッドの苦言にソフィアが弾んだ声で抗議した。 「今日くらいはいいじゃない」  妻の抗議にうなずきながら6人分のワインを注ぎ終え、ダミアンはグラスを軽く掲げた。メアリーのグラスにはオレンジジュースが注がれた。 「それでは、君たちの出会いと新しい家族となったエイト君に乾杯」  口に含んだ白ワインはほのかな甘みがあってクセもなく飲みやすい。 「おいしい」 「口にあったようで何よりだ」 自然にこぼれた感想にダミアンが頷きながら笑んでいる。 「さ、こっちも食べて!今日はエイトさんがくるからわたしも腕によりをかけて料理しちゃったわ」  そういいながらソフィアは近くに置いてあった大きなワゴンから大きなパイの包み焼きを取り出す。 「すごい、これソフィアさんが作ったんですか?」 「うふふ、得意料理なの。白身魚のパイ包み焼き」  ソフィアは嬉しそうにナイフを手に取ると豪快にパイに差し込んだ。切ったところから湯気が上がり、なんともいえない香ばしい匂いが漂う。 取り分けてもらったパイは香草の香りとホワイトソースのとろみが調和して魚の旨味を引き立てている。 「おいしい」  さっきからおいしいとしかいってないエイトにソフィアは笑顔で頷いた。 「いっぱいあるからどんどん食べてね」  気後れしそうなエイトを気遣ってブレッドはどんどん料理を取り分け、少なくなったワインをつぎ、ソースがついたエイトの口元を拭う。 「ブレッド見てると昔のダミアン思い出すわー。家同士の決まりで結婚するからって小さい頃から会ってたんだけど、その時はいつもシャイな人だなって思ってたのよ。けど婚約と同時におうちに閉じ込められて大変だったのよー」 「え?」  ソフィアが笑いながら懐かしむように話す内容に若干恐怖を感じつつもそこからはおいしい料理を食べながらブレッドの小さい頃の話やダミアンとソフィアの思い出話などを語り、笑ったり呆れたりしながら穏やかな時が過ぎていった。  そして心配していたブレッドの両親の反応も杞憂だったことにほっとして、いい具合にワインが回りほろ酔いになったころ、ダミアンはかわいい孫と「競争だ!といって丘の向こうへ遊びに行ってしまった。ソフィアは友だちから電話がかかってきたとお手伝いさんから連絡を受けて家のほうに入っていった。  すると今まで静かに佇んでいたルイスが急に我が物顔で脇に備えていたまだ封を切っていないワインボトルを手に取り、引き寄せた二つのグラスになみなみとワインを注いだ。 そして一息で飲み干すとエイトの方へ向き直り、笑った。  その笑いはダミアンやブレッドと違ってどこか人を見下すような笑い方だった。 「やれやれ、ようやくブレッドが片付いて父さんも母さんも安心したんじゃない?」  近くに置いてあったガーデンチェアにどかっと腰掛けながら妻にもグラスを手渡した。キャシーは派手な配色のロングスカートをバサッと翻して尊大にルイスの横に腰掛け、紅い唇に弧を描かせた。 「それにしても、まさかのゴリラ族だって聞いた時には思わず笑ってしまったわね」  唐突にキャシーの放った言葉にエイトの身が強張った。 「レベッカもかわいそうね。ずっとブレッドとの結婚を夢見てたのに、本人には袖にされておまけにこんな中途半端な種族に婚約者の座を奪われるなんて」 「そうだな。よっぽど傷心だったんだろう、ブレッドと婚約解消したと思ったら自棄になって使用人とくっついたらしい」  優雅にワイングラスを揺らしながら演技めいて眉を下げるキャシーに下卑た口調でルイスも同調する。  エイトは胸が鋭いナイフで斬り付けられたように痛んだ。やはりブレッドにも婚約者がいた。更には本人もブレッドのことを好きだったのか。 「それに、うちの可愛い弟に悪い虫がつきやしないかと少々調べさせてもらったんだが……君がブレッドに近付いたのはうちの財産が目当てじゃないのか?」  エイトは後頭部を殴られたような衝撃を受けた。まさか、身元調査のようなことまでされているなんて。  だがそこでゆらり、と黒い影が動いた。 「兄さん、お義姉さん。久しぶりにあったかと思ったらまた嫌味ですか。相変わらず成長がないですね。でもね、今回のそれは嫌味の範疇を超えている。到底許すわけにはいかない暴言だ。エイトへの謝罪を要求する」 「本当のことだろう。この際だからはっきりしておこう。君はうちの財産目当てでブレッドに近付いたんじゃないか?」 「そんな……そんなことはありません。僕はブレッドさんにどれぐらいの財産があるかなんて知らないし、確かに実家には少し問題があるけれど僕自身には借金を返す必要はないんだ」  そう、事実借金は全部父親が背負って、いくらエイトが返済の手助けを申し出ても、お金を渡そうとしても頑として受け入れてはくれない。  それが母への贖罪だと言わんばかりにがむしゃらに働いて借金返済に明け暮れている。  まだ幼かった兄弟たちも施設で問題を起こすことなく暮らしていたり、裕福な家庭に養子として迎えられたり、エイトの手を必要としないで成長している。  そんな家族への懐疑の目を向けられて、エイトは腹が立ってきた。  「僕の家族を侮辱するのはたとえブレッドさんの家族だとしても許せない」 きっと睨んでルイスにはっきりいうと、ルイスは顔を歪ませた。 「アルファの後ろ盾があるからっていい気になりやがって」  その一言にどこかで何かがプチン、とちぎれる音が聞こえた……。 「兄さんが自分がベータであることにコンプレックスを持つことは自由だが、それを他人に、それも私のつがいに向けるというのはそれ相応の覚悟があるということだろうか」    地の底を這うような低い声でブレッドが迫る。声を荒げるでもないその抗議はアルファのオーラを纏い、その場にいる全員を凍りつかせた。  エイトも固まったが、ブレッドが今にもルイスに殴りかかりそうだったので、自分の腹立ちは棚に上げて慌ててブレッドを止めに入る。 「ブレッドさん、僕はだいじょうぶだから。落ち着いて」  竦み上がっているルイス夫妻は声を発することすらできないようだ。 「もういいから、今日はもう帰ろう?」 エイトの必死の懇願に、ブレッドは無言で車へと向かった。
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