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 不満をぶちまけた翌朝、だいぶ寝坊したエイトは下半身のダルさに呻いた。 「おはよう、エイト。昨日は無理させたね。今日はゆっくりしよう」 「ん……おはよ……なんだかすごいわがままいった気が……ごめんなさい」  差し出されたコップの水を一気に飲み干してなおイガイガする喉に、昨日の痴態が蘇ったエイトは顔を真っ赤に染めた。 「いつまでも初々しい妻で、可愛いよ」  再びベッドへと沈むエイトの顔中にブレッドはキスを降らせた。  結局ルイスとの仲がどうなるのかも、お義母さんにちゃんと連絡したのかもわからないままだったが、元々仲の良かった兄弟だったみたいだし、今日の機嫌の良さをみればブレッドもうまく関係が修復できるかな?と考えても詮無いことをエイトは棚上げすることにした。  ただ、もう一つ気になっていた婚約者のことは聞けずじまいだ。エイトは悶々とした気持ちと軋む体に任せてそのままベッドの上でほぼ昼食のようなブランチを食べて、まったり午前中を過ごした。 けれどせっかくの連休をじっとしているのはもったいない気がしてきた。それに今まで越してきてから二人そろっての連休なんてヒートの時しかなかったことに思い至る。  たまには二人で外を出歩きたいとブレッドに言うと、付き合って欲しい場所がある、と誘われた。  目的地は最近郊外にオープンしたばかりの大型のショッピングモールだ。車を発進させるとブレッドはナビも入れずにすいすいと進む。 「新しい施設なのに、よく迷わないですね」 「あぁ、この辺りまでうちの署の管轄だからな。建てる時の消防許可やらで何回か見にきてるんだ」  そうだった、ブレッドは普段から街のあらゆる道を通って人命救助に携わってる人だ。最近エイトには残念な面を見せることが多かったけどこうして仕事への真摯っぷりを感じさせる一面を見ると胸の奥になんとも言えないキュンとしたものが広がる。  ショッピングモールはさすがに週末とあって、多くの車がとまっている。駐車場になんとか空きを見つけて降りると手を引かれるままに進んだ。 「何か欲しいものでもあるんですか?」 「あぁ、ちょっとな」  確固たる足取りですすむブレッドの、個人的な買い物かと新たな一面を見れる期待感でワクワクしながらブレッドの横を歩く。  ちなみに転がり込むように、と言うか半拉致状態でブレッドの家にやってきたエイトだが、必要なものはほとんどブレッドが揃えてくれた。生活用品は足りてるし、服は元からあるもので十分。今はなくて困るものはない。  ブレッドはちら、とエイトを見たがそのまま前を向いて歩きだす。心なしか悩んでいるような、戸惑っているような横顔にエイトは欲しいものが色違いとかで悩んでいるのだろうかと疑問を浮かべる。  都合よく解釈してフロアを進んでいたが、並んでいる商品がだんだんと洗練された高級アパレルや桁の多い宝飾品売り場の方に向いていることに気がついた。  普段来ることのない煌びやかな空間に腰が引けそうになる。  その時、聞き覚えのある声がエイトの名を呼んだ。 「エイトせんせーい」  ハイブランドの子供服を扱う店から青いワンピースをきたユリアが飛び出した。ユリアは駆け寄り、エイトに抱きついた。 「おっと、ユリアちゃん?!」 「こんにちは」  ユリアは抱えられているエイトの腕の中でブレッドを上から下へと見定めるようにながめる。 「先生たちはデート?」 「そうだが、君は?」  ずばり聞かれて照れるエイトの脇で若干機嫌の悪そうな声音で平然とブレッドが応じた。 「私はユリア。エイト先生が毎日献身的にお世話をしてくれるこもれび保育園の園児よ」 「そうか、君がユリア君か。エイトが世話になってるみたいだね。お礼をしたいところだが、今日は大事な日なので後日でいいかな」  言うなりユリアの両脇を持ち上げ、そっと地面に下ろした。ユリアも抵抗することなくされるがままだ。 その時エイトは気がついた。ユリアの表情にはこの間の漂うような悲壮感がなりを潜めている。悩み事が解決したのだろうかと思案するエイトの足元で、ユリアはビシッと指をさしてブレッドに忠告した。 「まぁ、お似合いじゃないの?悔しいけれどあなたをつがいと認めるわ。でもエイト先生を泣かせたら招致しないんだから」 「それはそれは光栄でございます」  好き勝手言っている幼児の言葉にうやうやしく頭を下げるブレッドに思わずエイトは笑ってしまう。  そこへ、ユリアの後ろから同じぐらいの年頃の少女がひょっこり顔を出した。 「ユリアちゃん、このひとたちだぁれ?」  すると、ユリアは振り返って少女の手を取り、微笑みかけた。その顔は給食で大好きなプリンが出てきたときよりはるかに嬉しそうな顔をしていた。 「こっちはエイト先生。私の保育園の先生よ。そしてその人はエイト先生の運命の人」  妙な紹介をされてエイトは再び顔を赤らめる。名前を省略されたブレッドは眉間のシワを深くしたが、相手は幼児である。特に何も言わず大人の対応で見守る構えだ。だが次のユリアの一言には面食らった。 「エイト先生、この子はアニー。私の運命よ」 「え?運命?」  エイトも同様を隠せない。目を丸くしたままユリアの言葉を聞き返した。  驚くのも無理はない。なんせそもそも自分の第二性がわかるのは早くても思春期にさしかかる12歳ぐらいからだ。ユリアはまだ5歳。自身のバース性もわからないはずなのに。 「あ、エイト先生も疑ってるわね。でもこれは本当よ。だって、アニーと初めてピアノの発表会で出会ったときに体に電流が流れたように痺れたの。それからはアニーと片時も離れていたくないし、そばにいるだけで心があったかいの。でもいっとき、アニーのおばあさまのお具合が悪くて、遠くの国へお見舞いに行っていたときには会えなくて苦しかったわ。その時に確信したの。アニーは私の運命だって」  いつもは超現実的で的確にエイトのミスを指摘したり担任の先生にもはっきりものを言うユリアが、遠くを見つめて夢見る乙女のようにうっとりと語っている。  もしかして先日思いつめていたのはそのアニーがいなかった時期だったのだろうか。  恥じらうアニーの手を握り、さらに熱く語り出そうとしたユリアだが、そこにじゃまがはいった。 「あなたたち、ここにいたのね!探したのよ」  ユリアの母親と、兎族特有の長い耳を持つ女性がかけてきた。  その淡いグリーンのカーディガンとふわりとしたロングスカートを履いた女性の姿にブレッドが声を上げた。 「レベッカじゃないか」 「あら、ブレッド。こんなところで会うなんて偶然ね」  レベッカと呼ばれた女性がブレッドに呼ばれて驚きの声を上げた。 「エイト、元婚約者のレベッカだ」  どこかで聞いた名前だと思ったら、昨日ルイスたちが言っていたブレッドの婚約者の名前だ。 「どうしてこんなところに?」 「どうしてって、娘のアニーとユリアちゃんの今度の発表会のお洋服を探しに来たのよ。あなたこそ放浪の旅を終えてからは仕事一筋だって聞いたけど、ショッピングモールで会うなんて驚いたわ」    ブレッドの問いにレベッカは優雅に微笑み、気安くその頰に自分の頰を当てた。  その光景にエイトの鼓動が大きく跳ねた。  ブレッドは親同士が決めたことで、レベッカのことはなんとも思ってないって言っていたけれど、兄嫁の妻のキャシーの言い草では少なくともレベッカはブレッドのことを好きだったと言ってなかったか?そして失意のうちに自棄になって使用人と結婚したと……。  思い出したエイトは足元から深く暗い穴へ沈んでいくような気分になった。二人を直視できなくなる。 そこへ上品なヒールの音がエイトに近付いたかと思うと、急に両肩を掴まれた。びっくりして顔を上げるとレベッカの笑顔が目の前にあった。 「あなたがブレッドの運命の人のエイトさんね?初めまして。ブレッドのご両親から話は聞いてるわ」  フワッと花の香りが鼻を掠め、エイトの頬にレベッカの頬が触れていた。 「レベッカ!!人の番に兎族の挨拶を軽々しくするな」  慌てて引き寄せるブレッドにレベッカは胡乱気な目を向けた。 「その独占欲、ホントおじさまそっくりね。エイトさんには同情するけれど、私が運命じゃなくて心底ほっとしてるわ。私、束縛は嫌いなの」  穏やかそうな見た目を裏切るそのサバサバとした物言いに、エイトは驚いた。 「正直、許婚なんて時代錯誤も甚だしいしいわよね。それに、あなたが放浪している間に素敵な人を見つけたの。私も好きな人と一緒になれて大大円よ」  レベッカはまるで重い荷物を降ろしたように清々しい顔をしている。だがその顔が再び渋いものに変わる。 「だけど……あなたの身内だからあんまり悪口は言いたくないけど、あなたのお兄さんご夫婦の方はどうしても私の家の援助が欲しかったみたいでちょっとしつこいくらいにあなたとの結婚を迫られたのよね。もう私はとっくに他の人と結婚してるって言っても聞く耳持たずで困ったわ。今の結婚相手は気の迷いだ、なんて言って。ホント、失礼しちゃう」  全体的に小さい顔の作りを全力で動かしているようで表情筋が忙しない。よほど腹を立てているのか頭上の耳もぴょこぴょこと動いている。 「それは申し訳ないことをした。兄は思い込むと一直線なんだ。それに自分の考えが間違っているなんて思いもしない。そこへ輪をかけたのがキャシーでね。私たちも二人との付き合いに苦労している」  レベッカの酷評に便乗するかのようにブレッドが兄夫婦をぶった切る。  エイトは呆気に取られているが、その横で同じようにユリア親子も目が点になっている。 「あの……ママ、そろそろ靴を選びにいきましょ?」  絞り出すように聞こえた声はアニーだ。 はっとしたレベッカは取り繕うように笑顔を見せた。 「ごめんなさい、ちょっと我を忘れたわ。さ、みんなで靴屋さんにいきましょ」  靴売り場へユリアたちの背中を押しつつレベッカは首だけエイトたちの方に向けた。 「とにかく、好きな人と結婚できて私は今、幸せなのよ。エイトさんもブレッドと出会ってくださってありがとう。あなたがたも、お幸せにね」  嵐のように4人は去っていった。取り残されたエイトはしばし茫然としていたが、ブレッドが腕を引いて進み出したところで我に返った。 「僕、感謝された?」  つぶやきながら見上げると、ブレッドも苦笑していた。 「そのようだな。私も安心したよ、あの性格のレベッカに貰い手があって」  その言葉にどちらからともなく吹き出した。  婚約者の存在を知ったときから、自分がブレッドとレベッカの間を切り裂いたのではないかと落ち込んでいた。それが単なる自分の思い込みだとわかった今、エイトの胸の中には暖かいものが湧き上がっている。  軽くなった足取りで進んでいると、ブレッドの足が止まった。雑誌の裏表紙やCMでよく見る、女性からの支持が高い宝飾品の店だ。 「エイト、結婚指輪を買おう」  エイトは目を見開いた。両親への挨拶や友人たちへのささやかなお披露目会はしようという話はしていたけれど、結婚指輪の話なんて一言もしていなかった。オメガといえど男であるエイトはアクセサリーを身につけるという習慣がないし、お互いの心がつながっていれば目に見える指輪など必要でもない、と思っていたのもある。  だがブレッドの考えは違ったようだ。 「正直に言おう。私が心配なんだ。さっきみたいに君は幼児をも虜にできるほど魅力に溢れている。君は気付いてないけれど、知らずに周囲の人間を魅了しているんだ。外敵から身を守るせめてもの武器としてこれぐらいは許してくれ」 「え……それはちょっと言い過ぎじゃ」  エイトの否定に首を振り、その無防備さに自分は気が気じゃない、と店先で嘆きはじめた。  エイトは慌ててうなずいた。  「わかった、わかりました。それでブレッドさんが気が済むのなら指輪でもなんでもみにつけます!!」 太陽がさすがごとくパァッと顔を輝かせたブレッドだが、ふいに眉が下がり情けない表情へと変わった。 「ただ、どんなものがいいのか私にはさっぱりわからない。おすすめの店を同僚たちに聞いてはみたんだが……」  仕事も家事も完璧にそつこなすブレッドが消防署の人たちにおすすめのアクセサリーショップを聞いてる図を想像してしまった。恥ずかしくはあるけれど、エイトのこととなるととたんにポンコツになってしまうブレッドがかわいくてしょうがない。  本当は閉じ込めたい、と言葉と態度の端々で表現するこの優しい馬族の番はなんだかんだでエイトの気持ちを最優先してくれる。  きっとエイトが閉じ込められてしまったら、今ある性格が歪なものになるとわかっているから。ありのままのエイトを好きでいてくれるブレッドに、エイトは心の底から愛しいという感情が湧き上がる。  両親のこともあって、少なからず家族というものに不安を感じていたエイトだが、きっとこの人とならどんなことでも乗り越えて行ける、という安心感にも包まれるのだ。  だから自然と先の未来を想像して口にしていた。 「子どもがいたら、今よりもっと楽しそうですね」  しばしの間があって、興奮したような鼻息が聞こえた。期待に満ちた痛いほどの熱視線を背に受けながらエイトはブレッドの指に似合いそうな指輪をにこやかな笑顔で探し始めた。
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