世界の終わりはきっと当たり前のようにやってくる

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 凍った息が、白み始めた空へと消えていく。  地面が割れてる坂を上り終えて、ミネアは少し小走りになる。今日は少し寝坊してしまった。  頬を裂くような冷たい空気には、ニット帽を目深にかぶり、ダウンジャケットはしっかりとファスナーを上まで上げ、裏地が温かいジーンズをはいて対抗している。長い坂を上ったあとだと少し熱い。ムートンブーツが少し蒸れている気がする。  坂の上にある教会に、日の出前に行くのがミネアの日課。アリアと毎日一緒に日の出を見る約束をしたのは、もう何年も前の話。十八になった今でも、ずっと続いている。  体調を崩したり、雨の日はあったけど、それ以外は必ず二人で朝日に挨拶してきた。  蔓に覆われた教会の門は締まっている。当然の様にミネアは身軽に乗り越えて、何食わぬ顔で教会の裏へと歩いていく。  教会の裏にはベンチが一つ置かれていて、眼下には静まり返った町が広がる。太陽は遠くに見える海から登ってくる。眩しくて暖かい光を浴びるのは気持ちよくて、何より横で目を細めているアリアを見るのが、ミネアは好きだった。  ベンチにはすでにアリアが座っていた。ミネアとは正反対の、ウェーブのかかった長い髪の毛が羊のようだといつも思う。 小さな後姿を見て、ミネアの表情は緩む。  ああ、今日も先を越された。いや、今日は寝坊したから、仕方ないかな。 「おはよう、アリア」 「おはよう、ミネア」  挨拶を交わして、ベンチの汚れを払って座る。座ると視界から町が消えて、遠くの海だけが見える。まるで海辺の教会だ。  あと数分で、太陽が顔を出す。間に合ってよかったと胸をなでおろしていると、アリアが口を開いた。 「世界の終わりってどんなかしら?」 「なに?」 「世界が終わる瞬間って、どんなのかしら」 「さあ。わかんないよ」 「想像してみて」 「えー、うーん」  太陽が二人を照らした。アリアが歌いだす。アヴェ・マリア。まるでその間に考えてと言わんばかりだ。  手入れのされていない地面に視線を逃がしながら、ミネアは想像を巡らせる。  世界の終わり。知っているような気がするのは、どうしてだろう。 「きっと、そんなにすごいことは起きないんじゃないかな」  そう、特別なことは起きない。  穏やかな口調とは裏腹に、胸の奥がチクリと痛む。  歌うのをやめて、アリアはじっとミネアを見つめる。 「地震とか、火山の噴火とか、戦争とか、そういうのじゃなくて、もっと緩やかな感じの」 「毒ガスみたいな?」 「そういうんじゃなくて、なんだろう」  唸りながら、背もたれにぐっと寄りかかると、黒ずんだ鐘が見えた。  ミネアは体勢を戻して、鐘を指さした。 「あの鐘の音みたいに、いつも聞いている、知っているけど、それが終わりだなんて、誰も知らないんだよ、きっと」 「それは、とても素敵ね」  アリアが満足そうで、ミネアまで嬉しくなる。  日差しが心にまで届いたみたいに、さっき感じた痛みを和らげてくれる。 「アリアは、どうなの?」 「わたし? 簡単よ」  ミネアの肩に、アリアは頭を預けた。 「ミネアが隣にいない世界」 「それは……。ずるいよ」 「どうして?」 「だって、それは私もだから」  アリアが隣にいない世界は、死んだ世界だ。生きる価値なんてない。  想像するだけで、息が苦しくなる。  どうしてかそれは、さっき感じた痛みに似ている。  だけどアリアがいれば、どんなに辛くたって生きていける。今日も、明日も。  胸に手を添えていることに、ミネアは気づかない。  自分の頬に伝うものの正体もわからないまま、太陽が昇り切るのをただ見ていた。  今日も世界は続いていく。  誰かが置き去りにされたって、お構いなしに。           了
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