*後悔したくない

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*** 「音芽(おとめ)、すまん。ちょっと俺、出てこないといけなくなった。――話は帰って来てからちゃんと聞くから」  温和(はるまさ)がベッドの上の私を遠巻きに見ながらそう言ってきた。 「鍵、ここに置いとくからかけて持っててくれるか? あとでお前の部屋、行くから……」  そう付け加えて、温和(はるまさ)がキッチンのテーブルの上に家の鍵を置いたのが見えて。 「あ、あのっ……!」  呼び止めようと声をかけたけれど、小さすぎたのか、気付いてもらえなかった。 「後でな」  温和(はるまさ)がそう言って、一瞬だけ私を見て気遣わしげに眉根を寄せたけれど、行かないで欲しいという思いは通じなかったみたいで、無情にもバタン、と扉が閉ざされた。 「温和(はるまさ)……」  主人(あるじ)のいなくなった部屋に一人取り残された私は、自分の不甲斐なさに涙が出た。  ボフッとベッドに突っ伏して、温和(はるまさ)のにおいに包まれながら一人メソメソ泣いてみる。  でも、いくら泣いても温和(はるまさ)には届かないの、分かってる。  温和(はるまさ)逢地(おおち)先生からの電話で出て行ったってことは……これから彼女と会うってことだよ、ね……。  そう思ったら、もうどうしようもなく苦しくて切なくて……涙が止まらなくなってしまった。  一度(せき)を切った涙腺は、まるで決壊したダムみたいだ。  しくしくメソメソ。  そんな可愛い泣き方をしたのは、最初のうちだけ。すぐに「うわーん!」と子供みたいに声を上げて泣いて。泣いて泣いて泣きまくってから、私は真っ赤な目をしたままノロノロと立ち上がった。  ズビズビと鼻をすすりながら、台所までいくと、温和(はるまさ)が置いていった部屋の鍵を手に取る。 「温和(はるまさ)のバカ。家に入れなくしてやるんだから……!」  出来ないくせにそんなことをつぶやいてから、何やってるんだろう、って自分が馬鹿に思えてくる。  玄関まで行くと、脱ぎ飛ばしたはずのミュールがちゃんと揃えて置かれていて、ふとそれを並べてくれている温和(はるまさ)の姿が脳裏に浮かんで切なくなった。  何だかんだ言って、温和(はるまさ)はずっと私の世話を焼いてくれている。私はいつまで経っても彼の妹のままだ。  脱ぎ散らかした靴の始末さえ温和(はるまさ)にやらせてしまう私が、大人の女性の魅力を持った逢地(おおち)先生になんて、到底敵うはずがない。  でも、私、それでもやっぱり負けたくないの。
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