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風呂から上がると音芽の姿がリビングになくて、「おや?」と思う。
照れ屋で奥手なあいつのことだから、まさか先にベッドでしおらしく待ってる、なんてことはないと思う。けど……じゃあ、どこ行った……?
ふとあれこれ考えて、もしかしたら……と思い至る。
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ピアノが置かれた防音室の扉を開けたら、ビンゴ。
音芽がピアノの前に座っている背中が見えた。
丁度一曲弾き終わったところなのか、小さな余韻を残すように、どこか物悲しい音色が部屋の壁に吸い込まれるように消えていく。
兄の奏芽が女の子を落とすためによく音楽室なんかでピアノを弾いては、「きゃー! 鳥飼くん、すごーい!」と持てはやされているのを見たことは何度かある。
けれど、音芽がピアノの前に座っているのを見るのは大きくなってからは初めてで、何となくドキッとしてしまう。
考えてみれば、ピアノ教室の先生をしていた母親に育てられた兄妹だ。
兄の方だけピアノが弾けて、妹はからっきしダメ、ということはないだろう。
現に、音芽も子供の頃はよく奏芽と一緒に楽しそうにピアノを弾いていた。
でも、年を重ねるにつれ、何故か音芽は人前でそんなにピアノを弾く姿を見せなくなったから、俺はそのことをすっかり失念していたんだ。
音芽は、俺が入ってきたのにも気付かない様子で、次の曲を演奏するために楽譜を変えて鍵盤に手を載せたところで。
俺は何となくそれを邪魔したくなくて、なるべく音を立てないように背後の防音扉を背中でギュッと押すようにして静かにそっと閉めた。
と、音芽が深呼吸をした後に静かに曲を奏で始めて……。
そのイントロに、心臓がドクン……と跳ね上がる。
これ……。
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