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◇◇◇
――パキン。
不意にそんな音が聞こえて、モーリスは振り返った。音は店舗兼工房の、作り終えた部品を置いておく棚から聞こえた。時刻は夜明けも間近だが未だ日の昇らぬ時刻。それでも工房の炉には赤々と火が燃えさかり、その前にはモーリスの父親が腰掛けて製鉄をしていた。赤く焼けた鉄を、一定のリズムでたたく音が耳に心地よい。
けれどモーリスの心臓はどくどくと強く嫌な音を立てていた。棚にはアレンから頼まれた部品があったのだが、それが綺麗に割れていた。そもそも金属がこんなに綺麗に真っ二つになるはずなどない。誰も触れていないのに。――誰も触れていないのに。
息子の挙動を不審に思ったのか、父親が振り返った。
「どうした、モーリス」
「いや、ちょっと……」
割れた部品を手にすると、モーリスはじっと見つめた。嫌な予感がした。
気がつけば、壁にかけてあった外套をひっつかんで、モーリスは工房を飛び出していた。
「モーリス!?」
「悪い、親父! すぐ戻る!」
きん、とどこまでも澄んだ冷たい空気がモーリスの肺に入ってくる。突き刺すような痛みがモーリスの肺に走る。東の空が白々と明るくなっていく。
モーリスはひたすら走った。そうして、その扉を勢いよく開けた。そこに「彼」はいるはずだった。モーリスを振り返って、そして「こんな夜明けにどうしたの?」と首を傾げる親友が。そうしたらモーリスは言えただろう。「何でもない、ちょっと胸騒ぎがしただけなんだ」と。
けれどモーリスは言えなかった。――言えなかった。何も。
なぜならそこにあったのは。
「……アレン?」
モーリスは力が抜けたように、ずるりとその場に座り込んだ。モーリスの後ろから夜明けの光が室内を照らし出す。
朝日に照らされるは、綺麗に整頓された工房、テーブルの上には冷めた紅茶のカップとバイオリン。そうして床は一面、赤が広がっていた。どす黒い赤に浮かんでいるのは、モーリスの親友であるこの工房の主と――美しい鋏だった。
――この工房の主と、美しい鋏だった。
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