振り向いたらバケモノ。

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 ***  あの店主は、いつ見ても気味の悪い顔でニヤついている。いや、体中口にまみれているのだから、果たして本当の顔が何処にあるかなどわからないわけだが。僕が薬を買うと言うと、それがわかっていたようにまたゲラゲラと大笑いしてみせた。何がそんなに楽しいのやら。ああ、罪が減るだけで十分ありがたいことなのかもしれないが。  薬の効き目は、一時間程度で切れてしまうという。だから僕は、彼女が帰宅して家に入るのを待ってから、彼女の家の前に立ったのだ。手にしっかりと、薬のビンを握りしめて。 「よし」  たった一度だけのチャンス。何を言うべきかは、既に何度もメモに書いて、練習を重ねてきた。少し緊張しているけれど、プロポーズした時に比べたらマシだ。僕は深呼吸(死んではいるけれど、気持ちの問題だ)を一つして、一気に薬をあおった。 「行くぞ!」  薬を飲んで見えるようになっても、すり抜け能力がなくなるわけではない。鍵がかかったドアをするりと抜けて、僕はまっすぐ彼女がいるであろう場所へ向かう。  まだ帰ってきたばかりの彼女は、今日はまだ眠っていなかった。ソファーに荷物を投げ、コートを脱ごうとしていた彼女はそこで振り向いた。僕の存在に気づいた目が、いっぱいに見開かれる。 「一葉……ごめん。さっさと死んじゃってごめん……!」  驚く彼女に、僕は目頭が熱くなるのを感じながら告げた。 「独りぼっちにしちゃってごめんね。愛してるよ一葉。君の眼に見えなくても僕は、ずっと君を見守ってるから……だからどうか、心配しないで」  ありきたりだけれど、精一杯の想いを込めてそう伝えた次の瞬間。彼女は――ソファーの上のクッションを掴んで、そして。 「いやああああああああああああああああああ!ば、バケモノ!!」  僕へと、投げつけた。 「……え?」  僕は、戸惑うしかない。彼女は恐怖に満ちた顔で絶叫し、傍にあったものを次々と僕に向かって投げる。リモコン、バッグ、コートもみんなみんな。当然幽霊の僕に当たることがないが――その反応の意味が、僕は全く理解できなかった。  何故、彼女はそんなに怯えているのか。  バケモノって、一体どうして? 「や、やめて一葉!僕だよ、相模貴晴!《さがみたかはる》!君の旦那だよ!!」  まさか、彼女には僕がわからないのか。慌てて弁明すると、彼女の金切り声はますます大きくなった。 「さ、相模!?どういうことよ、あんたは……あんたは確かに私が殺したはずなのに!なんでそんな姿で戻ってくるの、まだ私を追い詰めたいの、苦しめたいの!?」  なんで、と。混乱と、絶望と、やりきれなさと――様々なものでごちゃごちゃに濁った頭で。僕は、ふと窓ガラスを見た。帰ってきたばかりで彼女はまだカーテンを閉めていなかったのだ。電灯に照らされたそこには、鏡のように僕の姿が映っている。  角が何本も生え、肩からも背中からも腹からもぬるぬるとした“腕”を生やした――怪物の姿が。 ――ま、さか、一葉……君が?君が、僕を……!?  ぐるんぐるんと回る頭は、事実の理解を拒否していた。どうして彼女は僕を殺したのだろう。どうして僕はバケモノになってしまったのだろう。  ああ、そうだ。そもそもあの店主は、何であんなにも楽しそうに笑っていたのか。  見えそうで見えない答えは。絶え間無い彼女の悲鳴にかき消され、やがてブラックアウトした。
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