*晩夏~Autumn

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「ハミルトン様からお電話でございます」 「ハミルトン?」  執事が告げた名前に心当たりはあったが、電話をもらうほどの間柄ではなかった。社交上の付き合いを除けば、もともと友人はそれほど多くない。 『ロバート?』  聞き慣れない、若い男の声だった。  自分のことをミドルネームで呼ぶ人間は限られている。親族が同名の父と区別するために、ごくたまに使う程度だ。 『ジュリアスだよ。覚えている?』 「ああ…!」  突然頭の中が真っ白になって、胸の動悸が激しくなった。  彼にミドルネームを教えたことに、特別な理由はなかった。他愛のない会話の流れで、どうしてそういうことになったのかもよく覚えていない。  だがそれまで自分と他者を区別するための、単なる記号にすぎなかった名前が、あのときから違う意味を持った。  昔と少しも変わらない、率直で溌剌とした声が、はにかむような甘さを漂わせて自分の名前を呼んでいる。高かった声のトーンは、長い年月を経ていくらか落ち着いたようだ。 「もちろん覚えているよ。君の声が昔と違ったから、少し戸惑っただけだよ」  電話の向こうの気配が、やや硬さを増した。  おそらく彼も、相手の記憶を探りながら、慎重に言葉を選んでいるのだろう。 『僕の声が? だってついこのあいだ、会ったばかりじゃないか。せっかくあなたが遠くまで来てくれたのに、あのときはゆっくりできなくて、本当に残念だったと思っているんだ』 「気にしないでくれ。君は仕事で徹夜明けだったんだから。こちらこそ急に訪ねたりして申し訳なかった」  身についた習慣と社交辞令で、つい平静さを装った。  確かに1か月前には家族旅行でアメリカへ行き、10年ぶりにニューヨークの友人宅にも立ち寄った。友人の甥である彼とは、初めて出会った懐かしい場所だ。  すでに独立して、忙しい生活を送っている彼に会えるとは思っていなかったが、友人は気を利かせて彼を呼んでくれた。  しかしだからと言って、どうして急に電話などかけてきたのだろう。これまで彼がどうやって暮らしていたのか、その消息は伝聞ばかりで、こちらから連絡を取るすべもなかった。  緊張で手が震えて、今にも受話器を取り落としそうだ。
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