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『あの、ロバート。僕は今、ロンドンに来ているんだ。それでもし、あなたの都合がよければ、少しだけでも会えないかと思って』
「来ている? ロンドンに?」
急激に、体の芯を焼けるような熱が駆けのぼった。
言われてみれば国際電話特有のもどかしさはない。手を伸ばせば届きそうな距離に、彼の気配が感じ取れる気さえする。
『僕はケンジントン近くのホテルに泊まってる。よかったらこの辺りでランチでもどうかな? あの、もちろん、あなたが迷惑でなければだけど…』
相手の心を推しはかり、言葉を選びながら穏やかに語り掛ける口調は、昔と少しも変わらなかった。
「そんな水くさいことを! ここは君の家も同然だし、部屋はいくらでも余っているんだ。食事なら昔みたいに、うちの庭でしよう」
『うん。じゃあエレインも一緒に…?』
妻の名前を出されて、彼の遠慮の正体を知った。
10年間一度も連絡をよこさなかったのは、彼なりに妻に気を遣ってのことらしい。
「君は今でも、彼女のお気に入りだよ。うちに来てくれたら、きっと喜ぶと思う。残念ながら子供たちとバカンスに出掛けたまま、まだ戻ってきていないけれどね」
『僕はあまり長くはいられないんだ。帰りの飛行機をもう予約してあるから。でももし、あなたの邪魔にならないようだったら、少しだけ寄ってもいい?』
「ああ。それと、ホテルの部屋は引き払っておいで。タクシーで来ればそんなに時間はかからないから。ここの場所は覚えている?」
電話の向こう側で、屈託のない笑い声が響いた。
『もしまだ家が昔と同じ場所に建っているのならね。僕はその家に住んでいたんだよ?』
「ああ、そうだね。待っているよ」
電話を切ってから、急いで執事に客用寝室と昼食の準備を頼んだ。彼にも言ったとおり、部屋はいくつも空いている。家族と数人の使用人だけなら、屋敷の半分くらいで十分生活できる広さがあった。
問題は食事のメニューだ。妻と3人の子供たちが出かけているので、おそらく家には十分な量の食材がない。彼の好みも思い出せなかった。
一緒に生活をしていた1年のあいだ、一度も食事のトラブルは起きなかった。料理人任せだったとはいえ、彼には好き嫌いがなかったはずだ。それともあの時期にはいろいろなことがありすぎて、自分が覚えていないだけかもしれない。
とりあえず昼食はハムとチーズと野菜のサンドウィッチに決め、夕食は彼の意向を聞いてから、執事が近隣の農家へ買い付けに行くことになった。
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