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打ち合わせを終えて再び書斎に戻ったが、もう気分が高揚して何も手につかなかった。まるで初めてのデートに出掛けるティーンエイジャーのようだ。
言いたいことも聞きたいことも山ほどあるのに、何一つ考えがまとまらない。彼が自分に会いに来たという事実に戸惑い、ただうろたえるばかりだ。
手持ち無沙汰のあまり、秋風の吹く戸外へ出た。屋敷の周辺は、葦の生い茂る水辺と上流域のテムズ川、まばらな灌木の丘に囲まれている。その見慣れた風景が、いつになく晴れやかに、輝いて見えた。
深呼吸をして、冷静に考えてみる。10年間会わなかった人間に、会いに来るのはどういう状況のときだろうか。
普通に考えれば、近くに仕事やプライベートな用事が出来て、懐かしさから立ち寄りたくなる場合だ。だが二人の関係は、思い出して懐かしくなるような、平凡で穏やかなものではなかった。
これまで会いたくても会えなかったのは、未だに胸の奥で疼く傷跡のせいだ。
あの頃の二人は、あまりにも深く愛し合い、互いに依存しあい、ぴったりと密着しあって生きていた。相手のいない人生など、想像すらできなかった。
彼が去った後は混乱のあまり、何をどうしたらいいのかわからず、後から思い返してもしばらくは記憶がなかったほどだ。
彼には葛藤がなかったのだろうか。それとも彼なりに決着をつけて、とうとう結婚相手でも紹介しに来たのだろうか。
さっきまでの浮ついた高揚感は次第に消えていき、後味の悪い苦さばかりが残った。
二度と会いたくないとは言わないまでも、彼にも多少の気まずさはあったはずだ。だからこそこの10年間、一度も音沙汰がなかったのだ。
先月ニューヨークで久しぶりに再会したとき、彼は何の動揺も見せなかったが、まったく冷静というわけでもなかった。
あの短い邂逅が、突然の渡英のきっかけには違いない。ただそれが結婚相手の紹介か、投資話の勧誘か、はたまた借金の申し込みなのかは容易に判断できなかった。
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