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言葉にできない1(番外・旅行の四人組)
「言葉にできない」1
どちらかと言うと、その絵は業火に焼かれた山並みといった風に見えるのだが、寝そべった黒い大仏だと言われれば成程そんなように見えなくも無い。
いかんせん、見えようと見えなかろうと、その絵を描いた本人が脇に張られている小さなコメント欄にそう記しているのだから、それはそうなのだ。
「すごい絵ですね」
しかし、それが焼け野が原であろうと大仏であろうとお世辞にも綺麗とも細かいとも言い難い筆さばきであったので、おれは致し方無くそう表現した。しかし、思いの外その言葉は番頭さんに好評であり、彼はほわほわと笑うとおれ達の先をゆく足を早めた。
「赤黒い波の形を黒く塗り潰すように縁取りがしてあって、少し怖いようでしょう」
確かに、キャンバスの下の方に赤黒い波がうねっていて、それが大仏の頭やら身体の隆起に見えなくも無い。
けれど、その異様な色あいに反してそれ程恐ろしい気配は感じない。こんなに得体の知れない物体なのに、悪い気を感じないのは、かえって薄気味も悪かった。
何かを塗り潰したような柄に見えなくも無いけれど、宝の地図か、呪いの言葉か、はたまた誰かへの恋文でも隠しているのだろうか。
「じっと見てるとなんか浮かび上がってくるかもよ」
後ろからおれに体当たりしてきたトール君が、からかい半分で囁いた言葉におれはぎょっとした。
「怖いおばけでも出て来たら、一になんとかしてもらいな」
トール君がからからと笑いながらおれの側をすり抜けて、番頭さんの後を歩いているカイジさんに付いて行く。その言葉におれも不気味なものを感じ後ずさると、後ろに居た一さんにぶつかった。大きな掌で二の腕を支えられる。
「お化けなんかより、人間の方が怖いよな。なんか封じてるってより、血糊でも塗り潰したように見えるけど」
一さんは品定めをするような底意地の悪い顔をして絵を眺めた後、さっと踵を返し案内に付いて行く。おれも慌てて皆に追い付いた。
トール君は散々文句をたれながら来た割に、結構楽しそうに廊下から臨める庭に目をやっていた。カイジさんも普段はなかなか見られないような素直な笑顔を見せている。旅とはそんな風に、いつもでは見られない一面を見せてくれるものなのだろう。
おれが普段見る分には二人はそれなりに仲が良いし、カイジさんは傲慢な振舞いや物言いの割に憎めない人物だ。お調子者の癖に自分にいつも自信の持てないトール君と、自分が法律と公言する自信家のカイジさんはお似合いだと思うけどな。
もしかしておれ達お邪魔虫かもよ、と後ろから一さんに囁くと、
「そんなの初めから判ってるだろ」
とにやにやと笑われた。そうなのか。おれは軽いショックを受ける。
夜とか、どうしたら良いのだろう。
「だったらお邪魔にならないように、どっか遊び行くか?」
「うん」
++++++++++
おれ達は今、男四人で一つの車に乗り山奥の秘湯へやって来ている。一さんの乾パン工場に休みを貰い、叔父トール君が仕事を私生活に持ち込みつつ半ば無理やり、遅ればせの温泉旅行となったのだった。
おれは今まで、あまり旅行というものをした事がない。だから実はとても楽しみにしていた。
人ばかり多くて疲れるようなのでは困るなと思っていたけど、一行は山奥の秘湯に宿を取っていて、手配は全て一さんとトール君の友人であり、おれのバイトの雇い主であるカイジさんに任せっきりにしてしまった。
お邪魔虫であるおれと一さんまで黙って連れて来てくれたのだから、多少はカイジさんに良きに計らわなければならない。勿論、トール君は人身御供だ。
「あの社、守り神かな」
「え?」
聞き取りにくくておれが顔を向けると、一さんもそっぽを向いていた。おかげで声が届かない筈だ、おれもその方角を眺めると、質素な建物が山の中腹あたりに霞んで見えた。
「遠いかな」
「暇だし、後で行ってみる?」
おれは目敏い一さんに若干唖然としながら社を見上げる。
観光地として温泉組合に登録もしていない秘湯なだけあって、来る道すがら見渡してみた所、周りに見て回る建物など無論無く、さびれたゲームセンターすら見掛けなかった。する事と言えば露天風呂に一日中浸かっているか山河の散策くらいしかないのだろうか。
「え、散歩行くの?オレも混ぜてよ」
「えーっ、駄目」
「なんでよー」
「駄目」
窓から外を眺めていたおれ達に途中でトール君が口を挟んできたが、おれ達はすげなく却下した。カイジさんは別にいちいち目くじらを立てるような小さな男では無かったが、おれと一さんも敢えて二人の邪魔はしたくない。
「トール、一のデートの邪魔すると呪われるぞ。それにお前仕事持ってきてるんだろ」
「え?」
脇で荷物の整理をしていたカイジさんがふとふざけた事を言った。トール君もああ、そう言えばそうでしたといった風な顔になった。
「そっか。そうだよね。ごめん!出かけておいで。アリあんまりなんでも買って貰ったら駄目だよ」
「うん」
トール君は急に大人びた口調でおれを一さんの元へ押しやった。おれは勝手な勘違いに若干憤ったが、これで二人きりにできると思い一さんとうふふ、と笑い荷物を置くと部屋を出た。
「二人、なんか勘違いしてたよね」
「あ?ああうん」
一さんはあるいは、おれ達もデートのつもりで仕組んだのかもしれなかったがしらばっくれたので、おれも判らないフリをした。
「本当にあの社に行くの?温泉行かない?」
「温泉は間宮君に譲ろう」
言うと、一さんはおれの手を取って廊下を歩き始めた。迷宮のような旅館で子供が迷わないように、気を使ってくれているらしい。
「カイジさんとトール君って、昔からあんな感じなの?」
「あんなってどんな?」
散策の道すがらふいに返されておれはつまった。あんな、例えば借金のカタに身体を要求されるようなただれた付き合いだ。おれはそう言おうとして、言葉を濁したが、一さんはお見通しのようだった。
「あの二人は見掛け通りの関係じゃないの。お前は自分の叔父さんがどんな奴に見える訳?」
「……お調子者、気弱、押しに弱い」
「じゃあカイジは?」
「偉そう」
「はは」
当たり障りの無い程度の印象を述べると、一さんは小さく笑っただけだった。
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