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ハナイソ 2
ハナイソ 2
二階で悩んでいるうちうつらうつらしてしまったらしい。
下から重い足音が響いてきて、誰かがヨーガちゃんと話をしていた。
あははとヨーガちゃんが笑っている。
足音は階段を昇り、おれの部屋のドアをいきなり開けると躊躇なく入り込んできた。その畳の踏み込み方におれは遅ればせながら、自分の危機的状況を悟った。
おれはがばりと起き上がり、ベッドの上でボクサーよろしくファイティングポーズをとった。するとそこにはおれが飛び起きた事に驚いた様子のストーカーの大きな体があり、
「うおッ?」
と彼は嬉しそうな声をあげた。
長身であるがゆえの癖なのか、少し猫背気味に丸めた背中も、
無造作に切り揃えただけの短い髪も、
ぎゅっと眉間にしわを寄せたすこぶる悪い目付きも、
寸分違わずそれはおれのガキの頃から頭にインプットされている一さんの姿で、おれはいやに懐かしい恋しい気分に囚われかけたが、今ここでそんな友好的態度を取るのは流石に自分の首を絞めるだろうと思い直した。
届いた当日会いに来るようでは、葉書を出した意味はあるのだろうか?いや、もしかして、直にポストに入れてどこかで張っていたのかも知れない。それ位の不審行為は平然とする大人だ。
一さんは、おれを上から下まで舐めるように眺めて、少しだけ眉間のしわを消し、満足そうに瞳を細めた。
それは彼がおれに久々に会って、また自分の気に入ったように育っていた事に満足した微笑みなのであろう事におれは少しだけ戸惑ったが、構わずその左半身に、 何の前触れも、 躊躇も、 手加減もなく後ろ回し蹴りをくらわせた。先手必勝。
「!」
一さんは受け身をとったが間に合わず、右に二歩ばかりよろめいたのでおれはその隙に部屋から出、階段を勢い良くかけ降りた。
「アリ君どこいくの!一さんから大事なお話があるそうよ!」
茶の間を通りすぎるところをヨーガちゃんが鋭い声をあげた。
そんな時いつもヨーガちゃんは呑気なムスメから母親らしい感じに変わっているのだったが、おれは無視して玄関まで駆け抜けた。
どこでもいいからとにかく逃げよう。一さんの思い至らないところ、想像もつかないところへ。
けれど靴をつっかけ玄関を開けたところで、おれは呪いをかけられたようにその場に固まってしまった。
家の木造りの門に寄りかかって、何故か桜の枝を片手に持ちながらニヤニヤと笑ってこっちを見ていたのは、先程思い切り蹴りをヒットさせたはずの一さんだった。
いくらウチの間取りを把握しているからといって、即座に二階から飛び降りて桜の樹をつたい降り、玄関に先回りしているというのは少し大人げない。
というより尋常な人間の仕業ではないように思う。おれは余裕ぶった端正な顔を睨みあげた。
「おれの自由はない訳?」
「自由?あるよーあるある!俺と話し合う自由か、黙って俺に連れ去られる自由だ」
おいっそれは断る自由は無いって事なのか?
「アリお前いつの間に少林寺拳法習ってたんだ?強い子は俺は大好きだぞ!《わんぱくでもいい、たくましく育って欲しい》」
一さんは昔懐かしいハムかなんかのCMの口調を真似た。
いや、本当に逞しく育ったら嫌だろうに。
でも、まじで時間を戻せるものならば、吐くまで食って肥満体になり相撲部にでも入りたい。それかロリータの女の子のフィギュアとか集めてオタク少年になるんだ。そうしたら一さんは幻滅したかもしれない。
一さんはにじり寄っておれと間合いを詰めようとしたが、おれはそれを拒絶しじりじりと後ろにさがった。
「アリ、花見だ!ほれ」
一さんはそう言って桜の枝をおれに投げて寄越した。
枝は小ぶりだったけれど小さな花はぎっしり固まってついていて、見映えはそれなりにいいものだ。それに対してごつごつとした枝は武骨で少し一さんの腕みたいだとふと連想した。一さんはカラカラと笑っておれに近寄ってくる。
おれは恐る恐る一さんの顔を桜の枝越しに覗き見る。
この人がおれをどこかへ連れて行く日。本当にそんな日がくるのだろうかと思ってきたけれど、それが今日という日だとおれはなんとなく悟った。この枝みたいに無理矢理奪われてそしてどこかへ。
「美しいのが悪いのか?」
おれは誰に言うでもなくそう呟いた。そしてあまりの馬鹿馬鹿しさに鼻で笑った。もちろん自分をだ。あとこの皮肉めいた現実に。
「お前大学へ通ってるんだろ?通うには近い方がいいだろう?だったらその近くに家を借りよう!俺もそろそろ日本に定住する気がでてきたしよ」
おれに都合のいいように計らってくれている気になっているようだったが実質は違う。第一おれがどこの大学へ通っているのか知っている口ぶりだ。誰が言ったのだ。トール君か?
「いいです!おれそのうち自分でバイトして払っていけるくらいの安い所探しますから!下宿とか」
おれの言葉に一さんは即座につっかかってきた。
「駄目だッ!お前俺と暮らすって言ったじゃないかッ!!」
「だから好きなように言わせてもらえばおれは一さんと暮らす気はないん……」
「アー!ヤー!」
一さんはおれの言葉が耳に入らないように両耳を塞いで奇声を発した。そうやってごまかしておれの気力を殺いで、降参したところで約束をとりつける気なのだな。
おれは判ってるんだぞ。
判ってるんだ。 でも。
金がかからないで済むのは、正直お得だな……。
打算的な自分が頭の中で笑いかけた。
「こいつは誕生日プレゼントとして受け取ってくれれば良い」
「そんなモンもらえませんよ!もれなくあんたも付いて来るんでしょうが!」
うわーこれは初めてのデートでいきなり車とか買ってもらうよりも重苦しい。
「うん?それとも住む場所より指輪みたいなんの方が良かったのか?」
「あっいえマンションで結構でございます」
おれはすかさず一礼した。
「ていうかもしかしてもう目星とかつけてるの?」
「もう一通り家具は入れてある」
「勝手に一さんの好みで選んだ訳?」
借りよう、ではなくすでに借りているのではないか!
おれが嫌そうな声をあげたのを、一さんの好みでレイアウトしたのが不服だ、と思ったととったのか、
「だったら、これから色々家具を買い直せば良い!見に行くぞ!」
と、一さんはずかずかとおれの背後に回りこみ後ろえりあしを猫の子みたいに掴んだ。
急にそんな所を触られるのはむずがゆかったが、一さんは嬉しそうな表情で構わずおれをずるずると引きずりはじめた。
それはおそらく一さんが勝手に物色し勝手に気に入り、勝手に選んだ家具の詰められたおれ達の家に向かっているのだろうけど、おれにはそれは死出の旅路のように思われた。
あるいは人間離れした伴侶との山あり谷ありの人生の航海への出発のようにも。
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