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ハナイソ 1
ハナイソ 1
ランドセルが重かったのでたぶん小学生の頃だったと思う。
一(はじめ)さんは叔父さんのトール君の友達で、その頃はまだ高校生だったのだろうけど制服をおれはスーツと勘違いし、すごく大人だと思い込んでいた。
三人で、トール君の家の近くのちっちゃい公園で遊んでいた日、一さんはトール君がどこかへ行ってしまっておれと二人きりになった時に、おれの目線までしゃがみ込みドスのきいた声でこう言った。
「アリ、お前、俺の事好きか?」
「うん!」
おれは強く頷いた。 好きといっておけば問題ないだろう。
実際一さんは良くゲーセンや食べ物屋さんに連れていってくれたし、マンガもたくさん貸してくれた。トール君と一緒に遊んでくれたりもした。
かっこ良かったから好きだった。そんな軽い気持ちだった。
「そっか……じゃあ」
おれの答えに一さんは満足そうに鼻を鳴らすとまた言った。
「お前が今の俺位の歳になったら、一緒に暮らそう、二人だけで」
おれはそれに喜んで同意した。
わあー毎日ゲーセン行けるよと思った。
マンガ読み放題だよと思うと自然に笑顔が溢れた。
そんなおれを見て一さんも笑顔になったが、その笑顔は、今思い返せばどこか何か企んでいたというか、そこはかとなく凄みがきいた笑顔だったのだが、当時のおれは、当然そんな事には及びもつかなかった。
ふいに一さんがおれに向けて小指をついと立ち上げてよこしたので、おれは特に怪しいものも感じず自分の小指をその指に絡めた。
一さんは本当に嬉しそうにぶんぶんと繋いだ手を振って、おれと将来の約束をした。
おれは一さんがそんな笑顔をして喜んでくれたのと、内容はどうあれ、一人の人間として約束をするということは、自分は一さんに対等に見てもらえているんだ、ということがすごく誇らしい気分になっていた。
そう、その内容はどうあれだが。
おれ達は夕暮れの公園で内緒の指切りをした。それから約十年。
++++++++++
家に帰るとポストにおれ宛ての葉書が来ていた。
今時葉書でやりとりをするよな相手は皆無だった、おれはそれをダイレクトメールかと思って良く見もしないでゴミ箱へ捨てた。
するとその様子を見ていたらしいヨーガちゃんが、
「アリ君、それはアリ君の葉書と思うわ。私さっきポストを開けて見ちゃったの、それでアリ君のだから戻しておいたのよ」
と言って薄い花柄のスカートを翻してぽちょんと座布団に座り込んだ。
「だったらポストに戻さないでテーブルに置いとけよ」
「だってきっとアリ君ポストで見つけたら嬉しいだろうと思ったのよ」
そう言ってヨーガちゃんは、抱えていた銀の四角い缶を開け中から煎餅の小袋を取り出しばりばりと食べ始めた。
ヨーガちゃんはおれの母でトール君の姉だ。しかし外見は無理なく二十歳後半で通りそうな程の異様な若さの女だった。
案外おれの歳の離れた姉なのかもしれない。
葉書を見ると、どこかで見た事のある有名な白い並木道が写っていた。
反対をめくると、忘れもしない危ないお兄さんからだった。
『アリ元気か!?今韓国にいる!どうだこの景色は!美しいだろう!あっでももうもしかしてブームとか去ってるのか!?そのうち帰る!会いに行くから待ってろ』
相変わらずの暑苦しい文面だ。
おれは一さんからの葉書をバッグにしまい立ち上がった。
「そういえば、一さんそろそろ日本に定住する気らしいわよ~アリ君を迎えに来るかもね」
「うそっ!」
煎餅混じりのヨーガちゃんの言葉に、おれは動揺し戦慄した。思わず数歩退がったついでにガラス戸にぶつかった。痛い痛いいたた……ていうか、背中よりこの現実が痛い。ついに来たかこの時が。
「この間トール君に連絡来たって~アリ君に会うの楽しみって笑ってたってよ」
きっとあの凄みのきいた笑顔なのだろう……おれはあの勝手な大人の顔を思い浮かべた。それにしても、トール君には電話かなにかで話をしたのなら、おれにだって葉書でなく電話で済む事だろうが、とおれは思った。
「私の事は心配しないでどうぞお嫁に行ってね~」
十年も前の子供同士の口約束を、ヨーガちゃんはまともにとっていた。
おれはぐったりして二階への階段を昇った。途中何度もけつまずいた。
そう、おれはあの口約束をその後なんの気なしに周りに話した。すると周りは面白がってそれはイイ!というリアクションをしたが、おれは逆に育つにつれ、まさか本気だったのではあるまいと焦りはじめた。
トール君は一さんの方からも話を聞いたらしく、
「いやあまさかお前みたいなガキんちょに目をつけるとは思わなかったあいつショタコンだったのか……へえぇ……」
と楽し気に含み笑いをしたが、おれにはショタコンの意味が判らなかった。
まさかまさかと思っているうちに十年近くが過ぎた。その間トール君は一度として一さんを説得してくれる事なく、一さんはその間じゅうおれと暮らしたらとずっと思っていたらしい。
信じられない思い詰め方だ。それはストーカーと言わないだろうか?
一さんは何でかいつも海外国内問わず飛び回っていて、頻繁に会ったり遊ぶことは段々少なくなったけれど、それでも一さんは帰国すればすぐにおれに連絡をくれ、連絡をする余裕がなければそのまま我が家に押し掛けてきた。
その度に一さんは高価そうな世界各地の土産をくれ、あの見つめられたらすくみそうな悪い目付きで、
「よし!今の髪型は似合う!」
だの、
「また少し背が伸びたな!」
だのと言ってはおれの髪をわしわしとかき混ぜた。
成長するにつれ、おれの容姿や性格が自分の予想していた理想から外れれば執着をなくすかとも思ったが、そうでもなかった。
一さんはおれが高校に入りたての頃、一度おれを冗談ぽく押し倒そうとした事があったのでおれは殴りつけ、今度こんな事したら絶交だと言い放った。
一さんはもうしない、と腫れ上がった頬をさすりながら調子よく言ったが、それは口からでまかせのように思われた。何故おれなのかは判らなかったが、好きか嫌いかと言われたら、昔から遊んでくれた一兄ちゃんなのだ、嫌いな訳がなかった。
おれはうーんと唸り煩悶した。
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