序章  1947年 マイナス16 

2/5
前へ
/252ページ
次へ
 再び銃声が響いて、先に斜面を駆け上がった男が唸り声を上げたのだ。  次の瞬間、男はバランスを崩して少女の足元まで転がり落ちる。  剥き出しの足首から血が噴き出し、添えられた手の甲も血まみれだ。  それでも男は飛び退くように起き上がった。  そしてあっという間に、背後から少女を羽交い締めにしてしまう。  途端に身動きできなくなって、  男の動きに合わせ、少女の洋傘がユラユラ揺れた。  するともう一方も、慌てて土手を駆け下りてくるのだ。  どう見たって二人は堅気じゃない。  さらに少女を巻き込んだ方は、きっとまだ十代だろう……。  それでもはだけたシャツから、  年齢に似合わぬ古風な彫り物を覗かせている。  ところが彫り物とは裏腹、その顔は怯えて震え、  少女の背後に身を隠すことで精一杯だ。  そしてそんな年若を庇うかのように、  もう一方がそいつを己の背後に押しやった。  そのままサッと腰を屈め、少女の肩口に右腕をのせる。  それから追っ手に向けて、十四年式の銃口を差し向けた。  この時、赤ん坊と男の顔は、十センチと離れていない。  少女はただただ赤ん坊の無事を祈り、  直立不動の体勢を必死になって取り続けた。  そこそこの距離から、土手を駆け上がる足首を撃ち抜いた腕だ。  構えているまま引き金を引けば、  きっと十四年式拳銃など吹き飛んでいただろう。  当然、そうなれば少女だって無傷では済まない。  ところが追ってきた方は、一向に引き金を引こうとはしないのだ。  無論それは一瞬のことで、ひと呼吸の躊躇とでもいう感じだ。  そしてその一時を逃さなかったのは、少女を盾に取った方のヤクザだった。  突然、耳が吹き飛んだような衝撃を右側に感じる。  続いて地響きのような轟音が頭の中で鳴り響いて、  少女はそのまま気を失いそうになった。  ところがよろける少女の身体を、ヤクザが再び押し戻すのだ。  ――しっかり、盾になっていろ!  まさにそんな感じで肩口をつかみ上げ、再び少女をしっかり立たせる。  そうしてやっと我に返って、少女は目だけをキョロキョロと動かした。  見ればかなり近くにまで迫っている男の顔が、  知らぬ間に真っ赤に染まり歪んでいる。  そんな苦悶を知って初めて、響いたのが銃声だったと少女は悟った。  さらに次の瞬間、少女を盾にしていた男が躍り出る。  そして前方に向けもう一発を打ち込んだのだ。  両手を添えて打ち出された弾丸は、男の腹辺りに見事着弾。  すでに左耳を撃ち抜かれていた男は、  両脚を後方に引っ張られたようにして一気に地面に突っ伏した。  それから暫し、雨音だけの静寂が続いた。  そしてそれを破ったのは、後ろで震えていた若造の一言だった。
/252ページ

最初のコメントを投稿しよう!

23人が本棚に入れています
本棚に追加