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英雄になんてならないで。
男はいつの世も英雄になろうとする。いや、もしかしたら、ならないといけないのかもしれない。時代の激しい波が彼らをそうさせる。それとは反対に、女はいつも取り残される。引き止めても引き止められないのを分かっていながら、ただひたすら引き止める。涙する。
国というものがあると、不思議と戦が起きる。戦に行くのはもちろん男だ。一般兵はただ突っ込んで命を落とすのみ。何百、何千、何万といる一般兵。それぞれに家族がいる。その一人一人を想う人達がいるのである。男たちは、死ぬことに誇りを持っている。国のために命を捧げている。しかし、女は違う。国のために命を捧げるよりも、自分のために生きて欲しいと願う。あなた一人の命ではないと訴える。国のために命を捧げる英雄になんてならないでと願う。それでも男たちは行く。行かなければならない。男たちの信念がそうさせる。
時は20XX年。日本国本土が戦場になることもなく、兵役もない時代が続いた後、再び戦乱の世が訪れた。平和ボケした国民の男たちであったが、兵役の再開により、かつての戦争の時代の特攻兵を思わせる志を持つ者が次第に増加する。男たちは、国のためなら命を捧げる覚悟を持つようになる。女たちは、男たちの身の回りの世話をするために駆り出される。掃除、洗濯、裁縫、料理など。国のために命を捧げる男たちのために少しでも快適な生活ができるように努めた。
ある日、若い男たちはとある命令を受ける。「敵の艦隊に爆弾を積んだ飛行機で突っ込め。」というものである。はるか昔の鹿児島の知覧の特攻兵を思わせる命令であった。男たちは、恐怖を感じることはなかった。なぜなら、知覧の時とは違い勝算があったからだ。自分が上手くやれば日本国は勝てる。そういう思いを誰もが抱いていた。しかし、女たちは違った。女はいつの世も国のために命を捧げるのはおかしいと感じていた。自分の愛する人が英雄になる必要はないのではないかと感じていた。特攻兵となった者の家族は皆揃って涙した。引き止めた。しかし、国のために命を捧げると誓った男たちの思いを動かす事はできなかった。
俺は、明朝5時に突撃命令を受けていた。最後の夜に入隊以来訪れていなかった、内縁の妻や両親、年の離れた兄弟に別れを告げに基地の近くにある実家を訪れていた。内縁の妻と籍を入れなかったのは、自分がいつか死ぬと分かっていたからである。実家に帰ると、内縁の妻は、籍を入れてくれと泣き崩れた。両親は、なぜ自分の息子が死ななくてはならないのかと応援はしてくれなかった。10個年の離れた弟は、兄ちゃんがいなくなるのは嫌だと駄々をこねた。俺は正直驚いた。日本国民全員が、特攻兵である俺たちを応援してくれていると思っていたからだ。俺の命一つで日本国が勝利するならば、安いものだと思っていた。だが、俺の命は俺が思っていた以上に重かったようだ。
「英雄になんてならないでください。国のために命を捧げるのではなく、私達のために生きてください。」内縁の妻はそう言った。わけがわからない。俺は明朝英雄になるのだ。結局籍を入れず、親父と最後の晩酌をして、実家を後にした。
明朝5時。俺は予定通り旅立った。敵の艦隊を目指して。しかし、敵の艦隊が近付くにつれて、ゴーグルの向こうに空ではなく、家族の顔が浮かんだ。あぁ、実家に帰るべきではなかったな…と思った。俺は無意識に仲間を見捨て、敵の艦隊を目指していたのを辞めて、基地に引き返した。上官にこれでもかというぐらい殴られた。殴られ、倒れた俺を踏み付け、非国民だと怒鳴り散らした。俺はその晩、基地から逃げ出した。そして、実家に戻った。家族は泣いて喜んだ。その翌日、戦は日本国が勝利したというニュースが日本国中を飛び交った。「あなたが英雄にならなくて良かった」と、内縁の妻は言った。内縁の妻とは、日本国が勝利した日に籍を入れた。俺は、生きていて良かったと心底思った。
けれど、日が経つにつれて生き延びた事が恥ずかしいと思えてしょうがなくなった。食事も喉を通らなくなった。あの時見捨てた仲間たちは、散っていったのに、俺は妻や両親、兄弟と幸せに暮らしている。それが、とても申し訳なく、恥ずかしく、虚しくなった。俺は日本国が勝利した数ヶ月後に、首を包丁で切って自殺した。
英雄になんてならなくて良かったと思った。けれど、英雄になれなかった俺は、英雄になった仲間が羨ましかった。逃げた俺に生きる資格はないと感じたのだ。英雄にならないでという言葉は理解できるようになっていたが、俺は英雄になりたかった。国のために命を捧げたかった。
私の夫は、特攻兵として突撃した後、家族のことを思って引き返してきてくれました。それは恥だと言う方も多いかもしれません。夫は、内縁の妻であった私を、日本国が勝利した日に籍を入れてくれ、正式な妻にしてくれました。これから、幸せに暮らせる。そう思っていました。しかし、夫は日に日に寝ていてもうなされる回数が増え、食事もほとんど食べなくなりました。彼は、仲間を捨てて家族を選んだことを後悔しているのだろうと思いました。でも私は彼が帰ってきてくれた時、本当に心の底から嬉しかったのです。飛び上がりたい程、嬉しかったのです。
ある朝、私が寝ている間に、彼は自らの手で命を落としました。私は、国を恨みました。戦を恨みました。世の中を恨みました。いくら恨んでも、彼が帰ってくるわけないのに。女は損な生き物です。いつの世も置いて行かれるのです。どうせなら、私も男に産まれたかった。そうすれば、あなたの仲間として一緒に英雄になれたかもしれない。あなたと最後まで一緒にいれたかもしれない。
英雄になれなかった彼は、ならなくても良かった「立派な英雄」となってこの世を去った。
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