第2話 狼と鬼たちの午後①

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第2話 狼と鬼たちの午後①

「さて、俺のいたいけな愛車をどこに連れていこうってのかね、お姉さん」 俺は小刻みに動くハンドルを見つめながら、当たり前のように助手席に収まっている女に問いを放った。 「ジャンクタウンにある重病患者のためのリハビリ病院よ」 「なんだって?俺にいったい何を運べっていうんだい。ヤクや死体ならお門違いだぜ」 「そうね、そんな可愛らしい物じゃないことは確かよ、ピート」  夜叉は急に馴れ馴れしい口調になって囁いた。俺の通称『ピート』は玄鬼の親父がつけてくれた名だ。ピーター・フォンダに似ているからだと思っていたら、ピーター・フォークを思わせる体形だかららしい。早いところ本当の名前を思い出して、このやくざな稼業ともお別れしたいところだが、なかなかそうはいかないのが辛いところだ。 「『チップマン』の噂は聞いてるわね?人工人格の外部メモリとして幽閉されている人々」 「聞いたことはあるが、本物にお目にかかったことはない。ただの都市伝説じゃないのか」 「それが違うのよ。人工人格のケアスタッフとして治安管理局に勤務していた技術者が重要なデータを保管している『チップマン』を連れて逃亡したらしいの。技術者は行方不明だけど『チップマン』は病院にいるわ。ただ彼の中にあるデータを取りだせる者がいない」 「それで?そいつを病院から連れだしてどこへ連れて行こうってんだい」 「消えた技術者の弟子筋にあたる人物が協力してくれることになったのよ。ところが病院の医師たちも秘かに彼の中のデータを狙っていて、そう簡単に退院させてくれそうにない」 「そこで病院から強引に連れ出してあんた達に引き渡せってか?冗談じゃない。犯罪だぜ」  俺はシートの上で四肢を投げだした。胸のうちでは、キャサリンが一気に全部のドアを解放して礼儀知らずの客人たちを放りだしてくれることを期待していた。 「とりあえずこれを渡しておくわ。病院のデータと逃走ルート」  夜叉はタブレットケースからキャンディーのようなスティックメモリーを取りだすと、俺の口に押しこんだ。 「いいこと、期日と時間は厳守よ。一秒でも遅れたらあなたは骨に、お仲間は鉄くずになると思いなさい」  依頼を終えた夜叉が前方に目を向けると、置き去りにして来たはずの黒い車が脇道から前を塞ぐように姿を現した。  キャサリンが車を停めると、夜叉とボディガードたちは乗りこんできた時同様、無言で立ち去っていった。俺が夜叉の置き土産をシートの上に吐き出すと、突然、カーラジオが目を覚ましたように音楽を鳴らし始めた。 「おいおい。レディオマン、いくら嫌な連中が来たからってこの選曲はないんじゃないか」  スピーカーから流れだしたのは『ジョーズのテーマ』だった。 「いやあ、驚かせてすまない、坊や。どうも何かが迫ってるようなんでね。及ばずながら警告代わりに選曲させてもらったよ」 「何かが迫ってる?何かって何だい、旦那」  俺がレディオマンの返事を待とうとした、その時だった。突然、キャサリンがギアをバックにいれた。ハンドルにしがみついた俺の目が捉えたのは、視野を横切って大鉈のように倒れこむ街灯だった。
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