宣帝紀

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裏切り野郎、孟達(もうたつ)登場。 このへんから蜀の丞相・諸葛亮と 司馬懿との対決が描かれるようになります。 16. 初,蜀將孟達之降也,魏朝遇之甚厚。帝以達言行傾巧不可任,驟諫不見聽,乃以達領新城太守,封侯,假節。達於是連吳固蜀,潛圖中國。蜀相諸葛亮惡其反覆,又慮其為患。達與魏興太守申儀有隙,亮欲促其事,乃遣郭模詐降,過儀,因漏泄其謀。達聞其謀漏泄,將舉兵。帝恐達速發,以書喻之曰:「將軍昔棄劉備,託身國家,國家委將軍以疆埸之任,任將軍以圖蜀之事,可謂貫白日。蜀人愚智,莫不切齒於將軍。諸葛亮欲相破,惟苦無路耳。模之所言,非小事也,亮豈輕之而令宣露,此殆易知耳。」達得書大喜,猶與不決。帝乃潛軍進討。諸將言達與二賊交構,宜觀望而後動。帝曰:「達無信義,此其相疑之時也,當及其未定促決之。」乃倍道兼行,八日到其城下。吳蜀各遣其將向西城安橋、木闌塞以救達,帝分諸將以距之。 (訳) 蜀将の孟達(もうたつ)が降ってきた当初、 魏朝は彼を甚だ厚く待遇した。 宣帝は、孟達の言動が傾巧(ずるい)で 信任できないと考え、たびたび諫めたが 聞き入れられなかった。 孟達は新城(しんじょう)太守となり 侯に封じられ、節を仮された。 孟達はそこで呉と連なり蜀と固結し、 密かに国家を窺うようになった。 蜀の丞相諸葛亮は孟達の反覆を悪み、 また、彼が(わざわい)を為すことを憂慮していた。 孟達は魏興(ぎこう)太守の申儀(しんぎ)と仲が悪く、 諸葛亮はそこで、郭模(かくも)(いつわ)って投降させ、 申儀に(あやま)ってその計画を漏らすことで 孟達の謀反を促そうとした。 孟達は謀略が漏れたと聞き、 兵を挙げようとした。 宣帝は、孟達の速断を恐れ そこで、孟達に書状を遣って諭した。 「将軍は昔劉備を棄て 国家にその身を寄せられまして、 国家は将軍に国境の任を委ね 対蜀の計画を一任し、その心は 白日を貫くと謂うべきでしょう。 蜀の者は知者も愚者も 将軍に対して切歯扼腕(せっしやくわん)せぬ者は居りません。 諸葛亮は将軍を攻め破ろうと しておりますが、ただその方法が無く、 苦心しているだけなのです。 郭模の述べる所は小事ではございませんのに どうして諸葛亮が軽々しくこの事を 暴露させたりするものでしょうか。 これしきのことは、簡単に わかるものと思いますが」 孟達は書状を得て大喜びしたが、 なお決断に踏み切れなかった。 宣帝はそこで、密かに軍を進め 孟達の討伐へ向かった。 諸将は、 孟達が二賊と交誼を結んでいることから 現状は観望し、しかるのちに 行動すべきだと言った。 宣帝は言った。 「孟達には信義というものが無い。 今奴は疑心暗鬼になっている。 奴が計画を定めぬうちに 片付けてしまうべきだ」 そうして、倍の道のりを 昼夜兼行で進み、 八日で新城の下へと到った。 呉と蜀はそれぞれ将を派遣して 西城の安橋(あんきょう)・木闌塞へと向かわせ、 孟達を救援しようとしたが 宣帝は諸将を分割してこれを阻んだ。 (註釈) 孟達(もうたつ)法正(ほうせい)https://estar.jp/novels/25511236/viewer?page=102といっしょに はじめ劉璋に仕えてました。 その後劉備を迎え入れ、 劉備の養子の劉封(りゅうほう)とソリが合わず 関羽を見殺しにしちゃったために 劉備から疎まれるようになってしまい、 魏に寝返ってしまいました。 曹丕は孟達を厚遇したのですが、 曹丕が死んじゃったことで 立場が悪くなっていきます。 そして、人生で3度目の 裏切りを試みるのでした。 孟達には信義というものがない by司馬懿 劉備が、荊州を失陥した責任を 孟達と劉封に押し付けただけ、 という、擁護説もあります。
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