宣帝紀

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孟達と仲悪かった申儀(しんぎ)の処遇。 両方ロクでもないのだ。 18. 初,申儀久在魏興,專威疆埸,輒承制刻印,多所假授。達既誅,有自疑心。時諸郡守以帝新克捷,奉禮求賀,皆聽之。帝使人諷儀,儀至,問承制狀,執之,歸于京師。又徙孟達餘眾七千餘家於幽州。蜀將姚靜、鄭他等帥其屬七千餘人來降。 (訳) もともと、申儀(しんぎ)は久しく魏興(ぎこう)に在りて 国境にて欲しいままに威勢を振るっており、 彼が刻印を承制するたび 偽の拝受である事が多かった。 (朝廷の詔勅を偽造していた) 孟達が殺されたのち、 申儀は自らも(罰されるのではないかと) 疑念を抱いた。 当時、宣帝の新たな捷報を聞き 諸軍の太守が礼を奉じて慶賀を求めたが 宣帝はこれらを全て聴き入れた。 宣帝は人を遣って 申儀にもやって来るよう諷諭(ふうゆ)させた。 申儀が至ると、宣帝は 詔状を承制していた件について推問し (罪状が明るみに出たため) 彼を捕えて、都へと送還した。 一方で、孟達の余勢の 七千家余りを幽州に移転させた。 蜀将の姚静(ようせい)鄭他(ていた)らが、その一族や支党の 七千人余りを率いて投降してきた。 (註釈) ブイブイ言わせてる土着民も 司馬懿の前では形無しだー。 領土切り取る上で、 こういう層が一番扱い困りそう。
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