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229〜230年。
ここからは、
諸葛亮との対決が主に綴られます。
20.
四年,遷大將軍,加大都督、假黃鉞,與曹真伐蜀。帝自西城斫山開道,水陸並進,泝沔而上,至於朐䏰,拔其新豐縣。軍次丹口,遇雨,班師。
(訳)
太和四年(230)、
宣帝は大将軍に遷り、大都督を加えられ
黄鉞を仮されて、曹真とともに蜀を伐った。
宣帝は自ら西城で山を斫って道を開き、
水陸軍を並進させ、
沔水を遡って朐䏰(くじん)へと至り、
新豊県を抜いた。
軍は丹口に舎営したが
雨に遇い、班師(撤退)した。
(註釈)
諸葛亮の第三次北伐です。
劉備から後事を託された諸葛亮は
227年から234年までに計5回
魏を打倒する為の軍事行動を起こしています。
一次北伐と二次北伐は
司馬懿の担当じゃなかったので
この宣帝紀には書かれていないのですが……
まず大前提として、
巴蜀から中原まで進軍するとなると
恐ろしく険阻な道程を往くことになるので
まずは涼州で拠点を確保しないことには
お話になりません。
諸葛亮はまず孟達を謀反させようとしますが
司馬懿に素早く処理されて失敗。
第一次北伐は天水・南安・安定の
三郡を味方につけるものの、
馬謖がやらかしてしまい失敗。
とはいえ、敵将が大ベテラン張郃なのは
相手がちょっと悪すぎました。
(姜維はこの時加入します)
第二次北伐は
ルートを変更して挑んだものの
郝昭の奮闘により陳倉を抜けず、
兵糧が尽きてしまって退却──
結果を出せずにいた諸葛亮ですが
すぐに考えを切り替えて、
三度目の北伐でようやく
武都・陰平の二郡を、魏領から
切り取ることに成功します。
(地図用意できなくてごめんなさい)
諸葛亮にメンツを潰された魏は
大軍を動員して今度こそ潰しにかかります。
が、折しも長雨が降ったために
撤退を余儀なくされるのでした。
諸葛亮はすぐさま反撃に転じ
魏延と呉懿を羌へと派遣、
魏延は陽谿で郭淮らを大破しました。
ちょっと疑問視されつつある
諸葛亮の軍事能力ですが、
晋書では特に微妙な描かれ方をしています。
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